大豊さん白血病で死去…まだ51歳 記憶に残る“台湾の大砲”

[ 2015年1月20日 05:30 ]

51歳で死去した大豊泰昭氏

 台湾出身で中日、阪神でプレーした大豊泰昭(たいほう・やすあき、本名陳大豊=チン・タイホウ)氏が18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去した。51歳だった。葬儀、告別式は近親者で執り行う。喪主は妻百合子(ゆりこ)さん。

 王貞治氏に憧れ、台湾から海を渡った。15歳の時には「1週間分の小遣いをはたいて買った」という、王氏の756号本塁打世界新記録の偉業を称える本を購入。繰り返し読み、最後はページがバラバラになってしまうほど愛読した。

 念願かない、1984年に名古屋商科大へ入学。持ち前の長打力で頭角を現すと、1988年ドラフト2位で中日へ入団した。93年から本格的に取り組んだ一本足打法が転機となり、94年には38本塁打、107打点で2冠を獲得。97年オフには矢野燿大(当時輝弘)とともに、関川浩一・久慈照嘉との2対2のトレードで阪神へ移籍した。

 阪神移籍後は野村監督の勧めもあって一本足打法から、すり足に変えたが、後に「一本足打法では試合で使ってもらえない。仕方なく変えた」と語るなど、最後まで一本足打法にこだわりをもっていた。2001年に中日へ復帰。翌02年に引退後は球団のスカウトとして台湾球界とのパイプ役や少年野球の指導に当たり、現在の肩書は「中日球団台湾地域情報提供員」だった。一方、04年には名古屋市で中華料理店「大豊飯店」を開業した。

 しかし、09年3月に白血病と診断され、翌年3月には台湾で暮らす妹の骨髄を移植。11年には、岐阜県海津市の「千代保稲荷」の活気に満ちた参道が「故郷の台湾に似ている」と中華料理店を移転した。体調が悪くなっても「同じ病に苦しむ患者さんの希望になりたい」と店頭に立ち続けた。

 しかし、13年に白血病が再々発。昨年9月には移植片対宿主病(GVHD)も併発し、歩行も困難な状態となっていた。それでも「“生きてこそ全て”という心境で過ごしています。55歳までに元気になって、もう一度、少年野球の指導に打ち込みたい。まだまだ夢はたくさんある。大豊の生命力にかけて、必ず復活します」と語っていたという。記録にも記憶にも残るスラッガーが、あまりにも短い人生の幕を閉じた。

 ◆大豊 泰昭(たいほう・やすあき)1963年11月15日、台湾・南投県出身。台湾・華興高から名古屋商大、中日球団職員を経て88年ドラフト2位で中日入団。89年4月22日の広島戦でプロ初本塁打。94年に38本塁打、107打点で2冠王。ベストナインにも輝いた。オールスター出場3度。97年オフにトレードで阪神に移籍し、01年に中日復帰。02年の引退後は中日のアジア地区担当スカウトを務めた。引退時の登録サイズは1メートル85、95キロ。左投げ左打ち。

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