王会長が見た秋山監督の6年間 静かに理論的に築いた常勝ホークス

[ 2014年10月31日 11:25 ]

<ソ・神>秋山監督(右)を迎える王会長

日本シリーズ第5戦 ソフトバンク1-0阪神

(10月30日 ヤフオクD)
 指揮官のバトンを渡した2009年以来、編成のトップとしてチームを支えてきたソフトバンク・王貞治球団会長(74)。秋山幸二という男を一番近くで見守り続けた6年間を振り返った。

 「凄く、理論的。理論武装ができているし、説得力がある。僕は(コーチに)任せていたけど、配球とかビデオを見たりして、投手に関しても積極的に自分の意見を言っていた印象がある。その点ではチーム内に緊張感があったと思う」

 激情型だった「王監督」とは正反対。どんな腹立たしい展開でさえ、ベンチではポーカーフェースを貫いていた。

 「テレビに映ってもさ、俺なんかと違って感情を出さない。最初のうちは口数も少なかった。最近では随分、しゃべれるようになったんじゃないか。能弁じゃなく、選手とも最初は距離があったと思う。ただ、ひと言の重みというものは、あったんじゃないかな」

 10月14日、秋山監督が辞任を表明した。王会長の繰り返しの説得も「辞任」の信念は変わることはなかった。

 「成績を見ても1回だけか、Bクラスは。凄くいい成績を残しているわけだし、今回のことは唐突だけど、自分で決断して誰からも(文句を)言われることがないくらいの成績だった」

 初めて相まみえたのは1987年の日本シリーズ。王会長は巨人監督、秋山監督は西武の主軸。ただ、印象は地味だったという。

 「最初から三拍子そろった選手だったけど、(同学年の)伊東勤(ロッテ監督)が先に出てきて、清原(和博)もいたし、派手さはなかった。ただ、逆に静かにじっくり取り組めたと思う。それが秋山スタイルを確立させた。大器晩成型だと思うよ」

 驚かされた采配があるという。11年の中日との日本シリーズ第7戦だ。3点リードの9回2死一塁。石橋をこれでもかと叩くように森福に代え、同年、先発に転向していた摂津をつぎ込んだ。守護神・馬原が不調だったとはいえ、一部では「非情」とも言われた。

 「案外、我慢して使うタイプだからね。びっくりしたよ。馬原(現オリックス)ではなく、摂津だった。監督として大事な場面で一番、信頼のできる投手を使うのは当然のこと。選手にはいろんな思いがあるとは思うが、監督は全選手、ファンのことを思いやっているわけだしね。そこで決断するのは大変だったと思う。そういう手段もあるんだというものは示したんじゃないか」

 一度、ユニホームは脱ぐが、52歳。まだまだ、老け込む年齢ではない。68歳まで監督業をやり切った王会長だからこその贈る言葉がある。

 「この6年間、やったこともある。もっと、こうしたかったということもあるだろう。少し、時間をとってね。まだ、先はある。実績は十分なんだからね」

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2014年10月31日のニュース