秋山監督 日本一10度舞った!涙の決起集会で鼓舞「目立ってくれ」

[ 2014年10月31日 05:30 ]

<ソ・神>日本一で10度舞った秋山監督

日本シリーズ第5戦 ソフトバンク1-0阪神

(10月30日 ヤフオクD)
 今季3度目の胴上げで有終の美を飾った。3勝1敗で王手をかけていたソフトバンクは1―0で阪神を下し、第2戦から4連勝。3年ぶり6度目のシリーズ優勝を飾った。0―0の8回2死一、三塁で松田宣浩内野手(31)が決勝中前打。9回1死満塁のピンチ も相手の守備妨害もあって併殺で切り抜けた。今季限りでの辞任を表明している秋山幸二監督(52)は6年目のラストシーズンを「日本一」という最高の形で締めくくった。

 日本一が決まったというのに、殺伐とした雰囲気がグラウンド内に充満していた。阪神の猛抗議が収まりかけると、ようやく歓喜の胴上げが始まる。秋山監督は笑顔で身を委ね、10度宙に舞った。

 「信じられない。日本シリーズは何度も経験してきましたがこういう終わり方は初めてです。本当に夢のよう。6年間、自分では目いっぱいやってきたと思います。6年間、ありがとうございました」。1点差の9回1死満塁、シリーズ388戦目で初めてという守備妨害での幕切れは歓喜へ一瞬のためらいを生んだ。だが、これも集大成ドラマのスパイスにすぎなかった。

 甲子園での初戦を落としてからの4連勝。指揮官の「最初」の日本シリーズの相手も阪神だった。西武の三塁手だった1985年。29年前だ。

 「日本シリーズで阪神と戦うのはそれ以来。あの時、どうだったのか、とか考えた。あれほど緊張したことはなかった。何もできなかった」。当時23歳。初の勝利打点王に輝いた若獅子はリーグ優勝決定後に右手人さし指を骨折。しかし「突き指」と発表し、伏せたまま、強行出場を続けた。第2戦では三塁から一塁へ悪送球した。その直後、バースに逆転2ランを食らい、もつれたシリーズで日本一を逃した。

 嫌な流れを断ち切れたのは、翌86年の広島との日本シリーズ。3連敗(1分け含む)で一度は日本一を諦めかけた。だが、第4戦の試合後だ。「東尾さんが、開き直っていこうぜと言うんだよ。あれで楽になったんだ」。その第8戦。2点ビハインドの6回2死一塁で同点2ランを放った。今や伝説となっているバック宙ホームイン。パ・リーグの強打者が、全国に名を知らしめた。

 今月14日、突然今季限りでの退任を表明した。1週間後の22日、福岡市内の焼き肉店で行われた決起集会。秋山監督は最後に「勝敗の責任は俺が取る。シリーズはアピールの場だと思ってくれ。とにかく目立ってくれ」と叫んだ。テレビでの全国放送がなかった西武時代。自分がそうだったように「全国区」になれと呼びかけた。大粒の涙を浮かべ声を詰まらせた。これほどまでに熱く語ったのは6年間の監督生活で初めてだった。

 最後にこう、締めくくった。「これからもホークスは強いホークスであってほしいと思います」。選手、監督を通じて9度目の日本一の瞬間は同時に別れの時でもあった。6年間で2度の日本一、3度のリーグ優勝はさんぜんと輝く偉業だ。リーグ優勝と違い、最後まで涙はなかった。笑ったまま、ユニホームを脱ぐ。これほど幸せな野球人は他にいない。

 ≪60年ぶり≫今季限りで退任する秋山監督は11年に続きシリーズ2度の采配でいずれも日本一。2リーグ制となった50年以降リーグ優勝したシーズンに退任の監督は過去10人いるがシリーズも制したのは54年天知監督(中)だけ。秋山監督は60年ぶりに有終の美を飾った。また、外野手出身でシリーズV監督は他に01年若松監督(ヤ)しかおらず2度優勝は秋山監督が初。

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