王会長のV奪回プラン結実 的確な巨額投資&実戦型“一芸”育成

[ 2014年10月3日 08:43 ]

<ソ・オ>ソフトバンク劇的V!胴上げされる秋山監督

パ・リーグ ソフトバンク2-1オリックス

(10月2日 ヤフオクD)
 3年ぶりのソフトバンクのリーグ制覇。その背景には効率的補強と他球団にはない育成システムがあった。一見、相反する「補強」と「育成」。今季スタメンの大半には中村、今宮、柳田、松田、長谷川、本多ら生え抜き選手が名を連ねた。大型補強の陰で、着実に育成路線も進んでいるといえる。

 ソフトバンクは2010年1月に編成委員会を新設し、チーム強化におけるフロント体制を改編した。実質的なトップは王貞治球団会長。パの盟主になるべく、それまで補強に積極的といえなかったチームの動きはそこから変わった。昨年11月に死去した笠井和彦前球団社長(享年76)の遺志を継いだ後藤芳光新社長兼オーナー代行は振り返る。「昨季悪かったのは先発の成功率と12球団最も多かった1点差負けです。他(の部門は)は全て1、2位。そこを補強することで厚みが出た。90点は与えられる。(補強は)成功だと思う」

 チームには3つの穴があった。一つは先発投手。昨季、先発で20試合以上投げたのは摂津だけだったが、今季は新加入のスタンリッジ、中田も達成した。先発投手の評価の指針となるクオリティースタート(QS=6回以上、自責点3以内)は昨季は年間で53回だったが、今季は開幕から101試合目となる8月9日の日本ハム戦(ヤフオクドーム)で早くもその数字に並んだ。

 1点差の試合は昨季17勝26敗の勝率・395。必要なのは「守護神」だった。現楽天のファルケンボーグが安定せず、岡島、五十嵐、森福、岩崎と日替わりのように役割が変わった。「最後が決まると、その前も自然に決まった」と秋山監督。抑えをサファテに固定し、五十嵐、ルーキー・森ら強固なセットアッパー陣との「勝利の方程式」が完成した。

 同じく昨季は5人が座った4番には2年総額9億円プラス出来高払いの李大浩(イ・デホ)が、その重圧を一手に引き受けた。一部には、ジグソーパズルの穴を埋めただけ、との声はあった。ただ、王会長は「絶対優勝した上でまた本来の道(育成)へ切り替える」と語っていた。総額30億円に及ぶ資金を注入したのは事実。だが、いたずらなマネーゲームではなく、的確で有益な投資だった。

 ドラフトとファームの併用。これが育成の礎となる。09年ドラフト。花巻東の菊池雄星(現西武)が一本かぶりの人気で6球団が競合したが、その中で1メートル71と小兵の高校生内野手であった今宮健太(明豊)を果敢に1位指名した。翌10年10月27日。ドラフト会議前日に行われた編成会議。意見は二分していた。上位リストには2人の外野手の名前があった。広島経済大の柳田悠岐と八戸大の秋山翔吾(現西武)。総合力は秋山だったが、柳田にはパワーがあった。「化けたら面白い」との王会長の意見もあり、その能力に懸けて2位指名に踏み切った。

 小久保、松中といった黄金期を支えてきた大砲は、世代交代の年齢を迎えつつあった。「どれだけ三振してもいい。全部、フルスイングさせるんだ」と世界の王の指令はファームに伝達された。1年目はウエスタン・リーグの本塁打王。「打率・250で将来的には30~40発打てる打者になればと期待した」と小林至球団統括本部副本部長の予想はいい意味で裏切られ、今季は打率3割、30盗塁と確率もアップ。長所を伸ばす育成方針は和製大砲を開花させた。

 育成システムも「一芸」を重視する。強肩、俊足、パンチ力など長所が一つでもあれば育成選手で指名する。育成選手の2軍戦出場は1試合につき延べ5人までという規約があるため、11年に設置した12球団で広島と2球団しかない3軍で実戦経験を徹底的に養わせる。独立リーグの四国アイランドリーグplusとの交流戦を中心に、韓国プロ野球、社会人、大学生と年間80試合を組む。今年5月、支配下登録された飯田は6月からローテーション入り。05年から導入された育成ドラフトで計29人を指名し、うち山田、牧原(今季ウエスタン・リーグ新記録のシーズン120安打)ら11選手が1軍で起用されるまでになった。

 一方、今季2軍でソフトバンク投手陣の完投数は広島に次ぐ12球団2位の6完投。1軍の先発投手は少しでも長いイニングを投げることが要求されるため、ここでは多くの選手に登板機会を与える「育成」というより、1軍での「即戦力」を考えたコーチングがされている。

 「金満補強」との非難も浴びた。ただ、畑にまいた「種」もまたしっかりと「実」を結んだ結果が、3年ぶりの歓喜を呼んだ。王会長が理想に掲げるのは、短期契約の外国人選手に頼らない不動の和製オーダー。その意味で、常勝軍団、黄金期へのスタートラインともいえる優勝だった。

 ▽福岡ソフトバンクホークス 1938年に南海電鉄を経営母体に創設。44年に近畿日本、46年に近畿グレートリングと改称し、47年から南海ホークス。1リーグ時代に2度優勝し、73年までに10度のパ・リーグ制覇(日本一2度)。その後は低迷が続き、88年秋にダイエーが買収して本拠地を大阪から福岡に移した。

 93年に福岡ドーム(現ヤフオクドーム)が完成。95年から王貞治監督が指揮し、99年にダイエーで初優勝、日本一にも輝いた。2000年も優勝したが、長嶋茂雄監督率いる巨人との日本シリーズは敗れた。03年は再び日本一になった。

 球団買収により05年からはソフトバンクとして参戦。王監督は08年限りで退任し、秋山幸二監督が就任。10年からリーグ2連覇し、11年は8年ぶりの日本一を果たす。球団オーナーは孫正義氏。

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