ジーター涙 ピンストライプとニューヨークにサヨナラ打

[ 2014年9月27日 05:30 ]

<ヤンキース・オリオールズ>9回、ジーターは劇的なサヨナラ打を放ち歓喜のジャンプ(AP)

ア・リーグ ヤンキース6―5オリオールズ

(9月25日 ニューヨーク)
 さらば、ヤンキースタジアム、さらば、ニューヨーク――。今季限りで引退するヤンキースのデレク・ジーター内野手(40)が25日(日本時間26日)、本拠地最終戦となったオリオールズ戦で9回にサヨナラ打を放ち、20年間身にまとったピンストライプのユニホームに別れを告げた。試合後には涙を浮かべた主将。4万8000人超のファンが見守る中、用意された舞台で最後まで「主役」を演じきった。

 伝統のピンストライプを誰より愛し続けてきた男だからこそ、神様が用意したドラマだった。抑えのロバートソンが9回に3点差を追い付かれて迎えた5―5の9回1死二塁。ジーターの代名詞とも言える右方向への打球は一、二塁間を抜ける。持ち味の勝負強さは最後の最後まで健在で、通算3463本目の安打がサヨナラ打。永久欠番となることが確実な背番号2は瞬く間に同僚の祝福の輪の中に消えた。

 「僕がやってきた全てのことは、夢に描いていたことを上回っていた。正直、きょうはどんなプレーをしたか覚えていない」

 ヤンキースタジアムでの最後のプレー。普段は冷静沈着な主将も、この日ばかりは平静を保つことが難しかった。「この数週間はどんどん気持ちがつらくなっていた。きょうも球場に運転してくる車中からこみ上げてきていた。試合に入っても“Don’t Cry(泣くな)”と何度も言い聞かせていたが…」。試合前にはチームメートから絵画と腕時計をプレゼントされ、プレーボールと同時に、名残を惜しむ4万8613人のファンからのジーターコール。感極まって最初の打席で肘当てをするのを忘れ、無走者の場面でけん制のサインを出したり…。それでも初回にいきなり左中間へ適時二塁打。ジーターはジーターだった。

 「4、5歳の時から夢見てきたことが今、終わった」。ヤンキースタジアムにほど近いニュージャージー州で生まれ、4歳の時にミシガン州に移住。だが、頻繁に祖父母の住むニュージャージーを訪れヤンキースタジアムに通った。ヤンキースファンとして育ち、その一員となり、20年戦った。試合後、慣れ親しんだ遊撃の守備位置に歩を進め、かがみ込んで別れを告げると、涙があふれた。「この球場の遊撃からの景色を思い出として刻んでおきたかった。自分はキャリアを通じてショートのみを守ってきたが、それも今日で最後にしたい」。26日からの敵地でのレッドソックス3連戦は指名打者での出場となる。

 「今まで感情を抑えることはうまくできてきたけど、きょうはどうにもできなかった。監督には試合を壊しそうなことをしたら(ベンチに)下げてくれと言っていたけど、現実は想像したこととは変わる。面白いよ」。ドラマのような劇的なフィナーレ。その姿はニューヨークのファンの記憶に永遠に残り続ける。

 ▼ヤンキース、ジョー・ジラルディ監督 歴史的な選手だ。しっかりと準備をする。うまくいかないことがあっても諦めずに続ける。ずっとそうやって戦い続けてきた。

 ▼ヤンキース・ロバートソン(9回に3失点)人生最悪から人生最高の気分になった。

 ◆デレク・ジーター(Derek Jeter)1974年6月26日、米ニュージャージー州出身の40歳。ミシガン州カラマズー高から92年ドラフト1巡目(全体6番目)でヤンキースに入団し、95年にメジャーデビュー。96年には打率・314で新人王に輝いた。00年には史上初めてオールスター、ワールドシリーズのMVPをダブル受賞。03年にヤンキース11代目主将に就任。11年7月10日のレイズ戦で球団史上初の通算3000安打を達成した。ゴールドグラブ賞5度受賞。オールスター選出14度。1メートル91、88キロ。右投げ右打ち。独身。

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