創部26年で5度目の全国制覇!大阪桐蔭の秘密に迫る

[ 2014年8月26日 06:30 ]

<大阪桐蔭・三重>優勝が決まり大喜びの大阪桐蔭ナイン

 今夏の甲子園は、九州国際大付(福岡)や東海大相模(神奈川)、智辯学園(奈良)など、大会前の下馬評が高かったチームが相次いで初戦敗退。波乱含みの大会であったといえるだろう。

 そんななか、噂に違わぬ結果を残したのが大阪桐蔭(大阪)だ。今大会も勝ち星を積み重ね、夏は2年ぶり4度目、春夏合わせると5度目の優勝を成し遂げた。もう全国屈指の強豪校であることに異論を唱える者はいないだろう。なぜ大阪桐蔭は強いのか、今回はその秘密にクローズアップしよう。

◎まずは野球部の歴史から

 大阪桐蔭野球部の歴史を紐解くと、懐かしい顔がみえる。大阪府東大阪市にある同校は1983(昭和58)年、大産大高(現・大産大付高)大東校舎として設立し、1988(昭和63)年に大阪桐蔭として独立した。全国の野球ファンにその名を知らしめたのが、同1988年のドラフト会議。当時は無名だった今中慎二が中日からドラフト1位で指名された時だ。それから一昨年の藤浪晋太郎(阪神)、昨年の森友哉(西武)まで、同校出身のプロ選手を26人も輩出している。

 甲子園での戦いを振り返れば、初出場は1991(平成3)年春のセンバツ、そこでベスト8。続く夏には萩原誠(元阪神ほか)が4番を務めて、史上最速となる創部4年目での夏の甲子園、初出場初優勝を飾った。しばらく間があり、2002(平成14)年夏には西岡剛(阪神)を擁して11年ぶりに甲子園へ凱旋。その後はコンスタントに出場を重ね、2008(平成20)年には17年ぶりの全国制覇を果たし、2012(平成24)年は春夏連覇、昨夏はベスト16、そして今夏は再び優勝と、目覚ましい活躍をみせている。2000年代の高校野球界では、横綱級の強さを誇るチームと呼べるだろう。

◎グラウンドにスーパースターが集結

 プロ野球の自主トレシーズンには、こんな光景を目の当たりにしたことはないだろうか。大阪桐蔭のOB選手たちが同校のグラウンドに集結して、合同自主トレを行うシーンだ。中村剛也(西武)、平田良介(中日)、中田翔(日本ハム)ら、今をときめくスーパースターたちが一同に集結して母校のグラウンドで練習を行う。西岡剛は過去、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)前に、青木宣親(ロイヤルズ)や川崎宗則(ブルージェイズ)を引き連れて登場。当時の野球部員は「そんな人たちを間近で見たら、自分もあんな風になりたいと、ほっておいても練習するようになりますよ」と語っている。

 また、シーズン中でも大学や社会人で活躍するOBたちがグラウンドに顔を出し、後輩たちと混じって練習することもしばしば。プロ選手とは異なり、直接指導できるメリットは想像以上に大きいはずだ。こうしたOBたちとの絆を築き上げてきたのが、西谷浩一監督である。

◎伝統校との差を埋める「OBたちとの約束」

 「ウチは学校の歴史も浅く、まだ20年ちょっと。私の母校の報徳学園なら100年以上の歴史がある。そんな伝統校との差を埋めるべく、1人のOBに1回でも多くグラウンドに帰ってきてくれ、と言っています」

 「もし20人が5回ずつ戻ってきてくれたら100回。それだけ(後輩に)伝えられることも多くなるし、そういうところから伝統校との差を詰めていきたいと思っています」

 このように語る、西谷監督は生粋の野球少年として、兵庫県宝塚市で生まれた。掛布雅之(元阪神)の大ファンで、小学校6年時に全国制覇を達成した金村義明(元近鉄ほか)に憧れ、報徳学園に進学。捕手として活躍するも、高校3年の春に下級生の暴力事件が発覚して、夏は出場できなかった、苦い経験も味わっている。

 苦労を経験した分だけ、奢ることなく謙虚に指導を重ねたからこそ、卒業後も西谷監督との約束を守り、グラウンドに顔を出すOBたちがいるのだ。

 西谷浩一監督は、21日の対八頭戦に勝利して、春夏通算30勝をマーク。36試合での達成は史上2位のスピード記録でもある。翌日の22日は「機動破壊」を旗印に、機動力で攻める健大高崎を、まさに“横綱野球”で粉砕。この勝利で大阪桐蔭は夏の甲子園で通算27勝(4敗)となった。同時に100年以上の歴史を誇る、母校・報徳学園の26勝を抜き去った勝利でもあった。(『週刊野球太郎』編集部)

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