斎藤佑 785日ぶり勝った「第二の野球人生が始まります」

[ 2014年8月1日 05:30 ]

<ロ・日>785日ぶりの白星を挙げ、スタンドのファンの声援に応える斎藤佑

パ・リーグ 日本ハム3-1ロッテ

(7月31日 QVC)
 佑ちゃんが785日ぶりに笑った!日本ハムの斎藤佑樹投手(26)が31日、ロッテ戦で6回を6安打1失点7奪三振の粘投。毎回のようにピンチを背負いながらも変化球を効果的に使い、12年6月6日の広島戦(札幌ドーム)以来の白星を挙げた。昨季は痛めた右肩のリハビリでボールを投げることすらできなかった。苦難の日々を乗り越えてつかんだ1勝。斎藤の「第二の野球人生」が幕を開けた。

 斎藤に涙はない。勝利の瞬間、ベンチで増井に抱き締められて白い歯をのぞかせた。785日ぶりの白星。試合後のヒーローインタビューでは、ファンの前で「こんな苦しい野球がずっと続くのかなと思ったらしんどいけれど、きょうは本当にうれしい。僕の第二の野球人生が始まります」と高らかに宣言した。

 19日ぶりに巡ってきた今季4度目の先発チャンス。初回から苦しい投球だった。5回まで毎回得点圏に走者を背負った。それでも2回に角中の一発で失った1点でしのいだ。「とにかく最少失点でいこう。気持ちだけは負けないようにと考えた」。7奪三振中6個をフォークで奪った。

 中堅から吹き下ろす幕張の潮風は、バックネットに当たって投手に向かい風となる。これによって変化球は大きく曲がる。「直球が指に全然かからなかったが、変化球が機能してくれた」。フォークでバットに空を斬らせ、シュートで右打者の内角を攻めた。6回6安打1失点で後を託した。

 11年4月17日、札幌ドームでのプロデビュー戦を思い出した。「最初の試合もロッテだった。あのときは4失点で勝ち投手。こんなに簡単に勝てるのかと思ったが、あらためて野球の難しさを知った」。苦難の時間を、この日の投球と重ねた。

 24歳の誕生日だった12年6月6日の広島戦(札幌ドーム)が最後の白星だった。このときは約1カ月ぶりの勝利で、斎藤はベンチ裏で目を真っ赤にして感極まっていた。しかし、本当の地獄はこの先に待っていた。右肩関節唇を痛め、長いリハビリ生活が始まった。効果的な治療法があると聞けば、全国各地を回った。昨秋に1試合だけ1軍復帰し、今季は開幕2戦目を任されたが結果を残せず2軍落ちとなった。

 6月の交流戦期間中、栗山監督と鎌ケ谷で面談を行った。指揮官は「お前の良さは何なんだ!」と問いかけた。「いい球を投げることではない。打者を抑えること、点を与えないことだろ」。熱いメッセージ。小手先に走るのでなく、愚直なまでに直球を磨いた。

 ヒーローインタビューの後、斎藤は監督室に入ると第一声で「すみません」と謝った。粘りの投球を見せたとはいえ、この投球で完全復活とは思っていない。その姿に、栗山監督は「あんな投球では打線が点を取ってくれない。あいつを叱ったよ。オレの気持ちが分かっていたのかな」と笑った。それでも心の中では喜んでいた。「最後に点を与えないのが佑樹の良さ」と付け加えた。

 野球人生で初めて挫折を味わったから見えたものがある。「勝てたことはうれしいけれど、高ぶりはそんなにない。チームが日本一になるために頑張っていきたい」。泥くさくてもいい。魂を込めて白球を握る。それが栗山監督への恩返しとなる。

 ▼日本ハム・黒木投手コーチ 斎藤には勝利への執念を感じた。きょうは勝利の余韻に浸っていい。

 ▼日本ハム・厚沢投手コーチ 斎藤は本調子でなかったけど、アウトを取れるところでしっかり取った結果。

 ≪斎藤語録≫

 ☆「人生最大の、一番幸せな日になりました」(06年8月21日、夏の甲子園決勝で再試合の末に早実を初優勝に導いて)

 ☆「一生何か持っているというか、こういう人生なのかなと思います」(07年6月17日全日本大学選手権決勝・東海大戦で優勝投手になり、史上初の1年生MVPに選出され)

 ☆「何か持ってると言われ続けてきましたが、何を持っているのか確信しました。それは仲間です」(10年11月3日、早慶戦での東京六大学秋季優勝決定戦で4季ぶり42度目の優勝)

 ☆「息の長い、活躍もできる、記憶に残る選手になれればいい」(同11月4日、ドラフト1位指名を受けての会見)

 ☆「野球をやっていて良かった」(11年4月17日ロッテ戦でプロ初登板初勝利)

 ☆「今は持っているのではなく、背負っています」(12年3月30日西武戦との開幕戦。初の開幕投手の大役にプロ初完投勝利)

 ☆「勝ち続け、最強の24歳になります」(同6月6日広島戦で24歳の誕生日に1カ月ぶりの白星となる5勝目)

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