デーブ流で松井裕1勝 先発宮川“あと1人で勝利”で代えた

[ 2014年7月3日 05:30 ]

<オ・楽>7回2死一、三塁、糸井を空振り三振に斬り、ベンチに戻った松井裕(左)を手荒く出迎える大久保監督代行

パ・リーグ 楽天2-0オリックス

(7月2日 京セラD)
 デーブ流で初陣1勝!楽天は2日、大久保博元2軍監督(47)が胸椎黄色じん帯骨化症などの手術を受けて休養中の星野仙一監督(67)の代行を務めると発表。監督代行を務めていた佐藤義則投手コーチ(59)はコーチに専念する。負ければ自力優勝の可能性が消滅する同日のオリックス戦から指揮を執った大久保監督代行は思い切った投手起用を見せ、2番手で2回1/3を無失点と好投した新人の松井裕樹投手(18)がプロ初勝利を挙げた。

 球場がどよめいた。2―0の5回2死一、二塁。打席に主砲・ペーニャを迎えると、ベンチを出た大久保監督代行が橘高球審に投手交代を告げた。「松井!」。勝利投手の権利を得るまであと1人だった先発・宮川に代えて、なんとプロ未勝利の左腕をマウンドに送り出した。連投も、リードした時点での起用も初めてだった。

 「右のペーニャで左の松井を使ったけどデータとして意図があった」と大久保監督代行。この試合から本職に戻った佐藤投手コーチは「ボールが強いから右打者も左打者も関係ない」と説明した。右の強打者のペーニャに対して左の松井裕。そんな「デーブ采配」にルーキーが見事に応えた。

 外角のチェンジアップで二ゴロに抑えて窮地を脱出。6回はT―岡田、バトラー、伊藤を3者連続三振に斬った。そして7回は2死一、三塁とされたが、目下打率トップの糸井をフルカウントから空振り三振。145キロの直球は高めに抜けたが、強く腕を振った。「よっしゃ!」と叫び、ド派手なガッツポーズも披露。三塁ベンチに戻ると大久保監督代行から右手で頭を撫でられた。2回1/3を2安打無失点で4者連続を含む5奪三振。最速146キロをマークした。

 今季の松井裕は開幕から4試合に先発し3敗、防御率6・05で4月下旬に2軍落ち。課題のクイックやけん制の技術を磨き、6月6日に中継ぎで1軍に再昇格した。昇格前、電話で当時の大久保2軍監督から言われた言葉は「おまえは1軍でも2軍でも3年間は育成選手のつもりでやれ。だから1軍に行っても練習量は落とすなよ」。最近はブルペン待機を続けて疲労がたまっているが、連日のようにアメリカンノックを受けるなど「デーブの教え」を実践。プロ初勝利につなげた。

 大久保監督代行も、腹をくくって臨んだ一戦だった。星野監督の休養を受け、5月26日から佐藤投手コーチが指揮を執っていたが、4点差を逆転された前日のオリックス戦敗戦後に、立花陽三球団社長と安部井寛本部長が協議して配置転換を決定。深夜に電話で連絡を受け、この日に仙台から大阪入りした。

 初めて指揮を執る試合が、負ければ自力優勝の可能性が消滅するという瀬戸際。星野監督からは電話で「やってこい!」とハッパをかけられ「星野監督の野球を全力でやる」と意気込んだ。嶋を2番に起用するなど、前日から打順を7人変更。4回に挙げた2点を守りきり、今季の開幕からのオリックス戦の連敗を9で止めた。「代行初勝利だけど、これは1、2軍を含め星野軍団の勝利」と喜び、「日本シリーズ第7戦のつもりで戦った」と胸を張った。

 試合後、大久保監督代行と一緒にカメラのフラッシュを浴びた松井裕は「もっともっとチームの力になりたい」と言った。超異例と言える1シーズンで3人目の指揮官と、苦しみながらプロ初勝利を手にしたドラフト1位左腕。2人にとって、忘れられない記念日となった。

 ▼楽天・佐藤投手コーチ 元に戻るだけ。球団の考えで自分はそこで仕事するだけ。

 ◆大久保 博元(おおくぼ・ひろもと)1967年(昭42)2月1日、茨城県生まれの47歳。水戸商から84年ドラフト1位で捕手として西武入団。92年5月にトレードで巨人に移籍し、95年現役引退。通算成績は303試合、打率.249、41本塁打、100打点。タレントとして活動後、08年から西武打撃コーチ、同編成部プロ担当、2軍打撃コーチを務め、10年途中に退団。12年に楽天打撃コーチ、13年同2軍監督に就任した。

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