“レジェンド”葛西 同じ誕生日「佑ちゃん」復活に太鼓判

[ 2014年3月30日 08:02 ]

<日・オ>試合前、ソチ五輪のメダルを手に笑顔の栗山監督(左)と葛西

パ・リーグ 日本ハム0―5オリックス

(3月29日 札幌D)
 ソチ冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプ男子で個人銀、団体銅の2つのメダルを獲得した北海道・下川町出身の「レジェンド」こと葛西紀明(41=土屋ホーム)が29日、日本ハム―オリックス戦を札幌ドームで観戦。スポニチ本紙に観戦記を寄稿した。

 臨場感にあふれ、テレビで見るのとは全然違う。バッターの打球音、グラブでの捕球音も聞こえてくる。スキージャンプもそうですが、やはり生で見ないと、伝わらない迫力があります。

 先発の(斎藤)佑ちゃんは打線の援護がなかったけど、頑張ったと思います。この日の始球式で着たユニホームの背番号66は自分が(72年)6月6日生まれなのでつけましたが、佑ちゃんも同じ誕生日なんですよね。だから親近感がある。一昨年の6月6日(広島戦、札幌ドーム)以来の勝ち星がついてほしいと応援していましたが…。

 ここまでの苦労は並々ならぬものがあったと思う。自分も94~95年シーズンに転倒で左鎖骨を2度骨折。それ以来、恐怖心が出て、強風の時は飛びたくないと思った。そんな心理状態が10年くらい続いたかな。でも、飛び続けることで、それを克服してきました。また、全日本チームのかつてのヘッドコーチは「ベテランの年寄りはいらない」との方針が強く、何度もメンバーから外されそうにもなりました。そのときは誰にも負けないという強い気持ちで臨み、結果を出すことだけを考え、やっていましたね。

 佑ちゃんも必死だと思います。プロ入り後、高校の時のライバルだったマー君が活躍し、絶対に悔しい思いをしてきたはず。自分も98年長野五輪団体戦でメンバーを外され、日本の選手が飛んでいる時に「メダルを獲らないでくれ」と思いながら見ていたことを思い出した。あの時は悔し涙も流した。佑ちゃんには高校時のような熱いピッチングを見せてほしい。僕もそうでしたが、諦めずに続けていれば、いつか必ず復活の時が訪れるはずです。

 今回のソチ五輪では皆さんの応援のおかけで2つもメダルを獲ることができました。次は日本ハムに日本一になってもらいたい。練習の時に、お会いした栗山監督からは「パワーをもらって、選手のみんなに伝えたい」とおっしゃっていただきました。相乗効果で北海道を盛り上げていければ、と思います。僕も次の18年平昌(ピョンチャン)五輪で金メダルを獲り、また始球式に呼んでいただければ光栄です。(スキージャンプ選手)

 ◆葛西 紀明(かさい・のりあき)1972年(昭47)6月6日、北海道下川町生まれの41歳。下川小3年から競技を始め、東海大四高1年時の89年2月に16歳で世界選手権初出場。同年12月のサンダーベイ大会(カナダ)でW杯デビュー。92年3月のハラショフ大会(チェコスロバキア)でW杯初優勝。W杯通算16勝。冬季五輪は92年から7大会連続出場。94年リレハンメル五輪団体銀メダル。14年ソチ五輪個人ラージヒル銀、団体銅。1メートル77、62キロ。血液型AB。

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