伊勢市が生んだ伝説の両投手、沢村氏&西村氏 胸像並んだ

[ 2014年3月11日 05:30 ]

<巨・神>西村氏の長女・津野田ジョイス幸子さん(左)と沢村氏の長女・酒井美緒さんが並んで移設された父親の胸像の前で握手

オープン戦 巨人7―6阪神

(3月10日 伊勢)
 記念試合で伝説の両投手が並んだ。これまで離れ離れに建てられていた沢村栄治、西村幸生両氏の胸像が一塁側の球場外に隣り合わせに移設。試合前に除幕式が行われ、西村氏の長女、津野田ジョイス幸子さん(76)が「伊勢市が生んだ伝説のプロ野球選手とされる両投手の栄光をしのぶことができて大変うれしく感慨深く思います」とあいさつした。2つの胸像の間には2人の背番号と「一球入魂」の文字が刻まれた石碑も設置された。

 始球式は西村氏のおいで、社会人野球デュプロの元監督の隆明さん(71)と、沢村氏の長女・酒井美緒さんが務めた。野球を教わったという元巨人の故難波昭二郎さんの手紙を胸にノーバウンド投球した隆明さんは「叔父の思いを果たせたのでありがたい」と振り返った。酒井さんは前日、父の墓前で手を合わせて当日を迎えた。父親の背番号をつけた選手が並ぶ姿に「きれいだなと思った。感無量です」と感慨深げだった。

 沢村氏と西村氏が直接投げ合ったのはプロ野球2年目の1937年だけで、先発での対決は西村氏3勝、沢村氏1勝だった。ただ、そこには勝敗を超えた覚悟があった。近づく戦争、あすなき日々を野球にささげた。そして、ともに若くして戦死した。太く、短い人生。2人の伝説の投手がいた奇跡を知るきっかけとなる試合だった。

 ◆沢村 栄治(さわむら・えいじ)1917年(大6)2月1日、三重県生まれ。京都商中退後に日米野球に参加し巨人入団。36年にはプロ野球初のノーヒットノーランを達成、37年春には24勝でMVP。3度応召し、44年12月2日に東シナ海で戦死。背番号14は巨人の永久欠番で、59年に野球殿堂入り。通算成績は105試合63勝22敗、防御率1.74。

 ◆西村 幸生(にしむら・ゆきお)1910年(明43)11月10日、三重県生まれ。宇治山田中から愛知電鉄、関大を経て37年に阪神入団。37、38年と2年連続で巨人との年度優勝決定戦を制し日本一に導いた。阪神を3年で退団し、45年にフィリピンで戦死。77年に野球殿堂入り。通算成績は112試合55勝21敗、防御率2.01。

 ≪記念試合アラカルト≫

 ◆配布 今季の巨人のスローガン「雄志」と書かれたオレンジ色のタオル、巨人OBと現役選手がデザインされた記念カード、長嶋茂雄氏、村山実氏がデザインされた記念ピンズが来場者全員にプレゼントされた。

 ◆観客 8901人の大観衆が詰めかけ、立ち見も出た。松阪市から訪れた山本弘一さん(48)は「特別な試合が行われてうれしい。毎年1試合でも多く試合をやってほしい」と話した。

 ◆国歌独唱 三重県出身の歌手「etsuco」(20)が白色シャツ、黒色の蝶ネクタイ、黒色のズボン姿で登場し、力強く独唱した。

 ◆記念映像 試合前のセレモニーで、長嶋茂雄氏や江夏豊氏らがプレーする巨人―阪神戦の映像が流された。
 

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