桑田氏「非常に残念」…ジョーブ博士と今月末に対面予定だった

[ 2014年3月8日 05:30 ]

95年、巨人の桑田氏(右)に手術を行ったジョーブ博士

 ドジャースは6日(日本時間7日)、球団の医療部門に長く携わったフランク・ジョーブ博士が同日朝、カリフォルニア州サンタモニカで死去したと発表した。88歳。死因は明らかにされていない。

 ジョーブ博士は1974年にド軍左腕投手の左肘腱の移植手術に成功。以降、46歳まで14年間プレーして164勝を新たに挙げた選手の名を取って「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになり、肘の治療法として球界に定着させた。ロサンゼルスの地元紙「オレンジカウンティー・レジスター」によると、08年に第一線を退くまでにアマ選手を含めて1000人以上に執刀したという。

 日本選手では83年ロッテの村田兆治や、95年巨人の桑田真澄が同手術を受けた。85年に17勝を挙げカムバック賞を受賞し、90年に引退するまで活躍した村田氏は「当時は肘にメスを入れるのはタブーだった。日本では再起不能と言われたが、不可能を可能にしてくれた。生きる力を取り戻させてくれた恩人」とあらためて感謝の意を表した。今月末に対面予定だったという桑田氏は「体調を崩しているというのは知っていた。非常に残念。今でも元気にボールを投げられているのは先生のおかげ」と語った。

 ヤンキースの田中は、1月初旬の渡米の際、ジョーブ氏が共同で設立した「カーラン・ジョーブ医院」で身体検査を受けた。ジョーブ博士の死去の報を受け、トミー・ジョン氏は「野球界は偉大な人物を失った」、大リーグのバド・セリグ・コミッショナーは「野球界の医療に改革をもたらした偉大な紳士。深い悲しみに包まれている」と悼んだ。野球経験はないが、米国では野球殿堂入りの候補として、たびたび名前が挙げられている。

 ▼中日・森繁和ヘッドコーチ 20年ほどお会いしていなかったが…。スポーツ界、特に日本プロ野球界にとっては物凄く偉大な人だった。ご冥福を祈ります。

 ▼荒木大輔氏 ジョーブ博士に会っていなかったら私の野球人生は24歳で終わっていた。恩人です。選手寿命が延びているのは先生のおかげだと思う。

 ▼吉村禎章氏(スポニチ本紙評論家)88年7月6日の中日戦(札幌円山)で、左膝のじん帯を3本断裂した時、ジョーブ博士に「膝もできますか?」と聞いたら「俺に任せろ」と言ってくれた。病室で一緒にドジャースの試合を見てくれたり人間味あふれる人だった。

 ▽トミー・ジョン手術 損傷したじん帯を切除し、他の正常な腱の一部を移植する肘の再建手術。手術の際は利き腕と反対側の手首にある長掌筋の腱を利用するケースが多い。1974年に初めて行われた際には成功率が5%程度とされたが、現在の成功率は95%に迫ると言われる。手術後、8~12カ月で実戦復帰するケースが多い。

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2014年3月8日のニュース