“フォークの申し子”野茂氏 ある日突然落ちるように

[ 2014年1月29日 06:11 ]

ドジャースの野茂氏。日米で旋風を巻き起こしたトルネード投法

 17日、日米通算201勝の野茂英雄氏が史上最年少での野球殿堂入りを果たした。野茂氏といえばメジャーでも「ドクターK」の異名を得たほどの奪三振王。その三振の山を築けたのは、「消える」とも称されたフォークボールの力に寄るところが大きい。

 あの江夏豊氏をして「野茂の場合は、生まれたときからフォークを投げていたような感じで、これに関する苦労話が出てこない。フォークの申し子といったところか」と語り、ドジャース時代にキャッチボールパートナーを務めた木田優夫(BCリーグ石川)は「キャッチボールですら捕れなかった」という落差を誇った野茂氏のフォークボール。実際にはどのように習得したのだろうか?

 野茂氏がフォークを練習し始めたのは社会人時代、新日本製鉄堺1年目の夏だ。監督に投げ方の基礎を教わり、くる日もくる日もフォークばかり30球も40球も投げ続けるも、何度投げてもまるっきり落ちなかったという。ところが、社会人2年目の春、ある日突然フォークがストンと落ちたのだ。その時の様子を、自著「僕のトルネード戦記」で次のように語っている。

「“あ、これだ!”って思って、また投げてみると、またストンと落ちる。結局、その試合はずっと安定してフォークボールが落ちてくれました。そして次の試合も。うまくは説明できないですけど、何かこう、落とし方を掴んだなという感じなんです」

 習得まで1年を擁した、とはいうものの、ある日突然マスターできてしまうあたり、江夏氏の言う「フォークの申し子」は間違っていないようにも思える。そのフォークボールで、日本で4度、MLBでも2度「シーズン最多奪三振」のタイトルに輝いた野茂氏。昨年、MLBでは初の「最多奪三振」のタイトルを得たレンジャーズのダルビッシュは、今年、野茂氏の記録に挑むシーズンとなる。(スマホマガジン『週刊野球太郎』編集部)

 ▼『週刊野球太郎』(http:/yakyutaro.jp/)とは イマジニア株式会社ナックルボールスタジアムが配信するスマートフォンマガジン(auスマートパス、docomo SPモード、Yahoo!プレミアムで配信中)。母体となる雑誌『野球太郎』から昨年12月26日に発売した『中学野球太郎』では"球児巨大化プロジェクト"と題した特集を掲載。プロで戦える身体を作った選手たちを取材し、身体作りのイロハを詳しくまとめている。

続きを表示

2014年1月29日のニュース