背番号変更を機に大ブレーク 過去はノムさん、高木守道も

[ 2013年12月19日 09:02 ]

背番号「19」をつけてプレーした野村克也

 今冬、球界は例年以上に「背番号」で盛り上がっている。中日が玉突き人事のように13選手間で背番号を変更させたのを筆頭に、各球団で背番号の変更が続いている。

 背番号が変わる理由としては大きく3つに分けられるだろう。今年初の盗塁王とゴールデングラブ賞を受賞した広島の丸佳浩(「63」→「9」)、同じく初のベストナインを獲得したロッテの鈴木大地(「35」→「7」)のように、好成績をキッカケにご褒美的に番号が若くなるケース。その一方で、新人や移籍選手などに背番号を“奪われる”ケースもある。 そしてもうひとつは、さらなる奮起を期待して、または復活を期するなど、何かが変わるキッカケとしての背番号変更である。

 過去をさかのぼってみると、名球会選手の中にも背番号が変わった年に大きく飛躍した選手は実に多い。その代表例は野村克也(南海ほか)だ。

 いわゆる「カベ」としての扱いしか受けていなかった1、2年目は「60」だった背番号が、1軍に抜擢された1956年に「19」へ変更すると、以降正捕手に定着。引退する1980年まで25年にわたってこの背番号を付け続け、日本記録となる3017試合出場を果たした。

 他にも、名二塁手・高木守道(中日)は背番号を「41」から「1」に変えた入団4年目の1963年にレギュラーに定着し、初の盗塁王も獲得。投手でも、サブマリン・山田久志(阪急)が、背番号を「25」から「17」に変えた3年目の1971年、22勝を挙げて最優秀防御率のタイトルも獲得した。

 また、名球会選手ではないが、今年亡くなった川上哲治(巨人)の背番号物語も面白い。 現役引退後、1961年に監督に就任した際は選手時代と同じ「16」を付けていたが、1965年に突如「77」に変更。そしてこの年から、伝説のV9が始まったのだ。

 来季は一体、どれだけの選手が背番号を自身の代名詞とすることができるだろうか。そして期待のルーキーたちは背番号の重みに打ち勝てるのか。

 現在発売中の「野球太郎No.007~2013ドラフト総決算号&2014大展望号」で表紙を飾っている楽天・松井裕樹は背番号「1」、西武・森友哉は「10」、オリックス・吉田一将は「14」にそれぞれ決まり、ファンの間では早くも、同じ背番号だった往年の名選手との比較が始まっている。選手のプレーとともに、その背中も追いかけていきたい。(スマホマガジン『週刊野球太郎』編集部)

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