ロッテ「サンデー晋吾」の真実 激痛で「試合前は捕手まで球が届かなかった」

[ 2013年12月17日 06:45 ]

 プロで生き抜く自信はなかった。ドラフト6位での入団。小野は危機感を持ち続けたことで成長した。気付けば、ロッテひと筋20年。プロ野球界で「成人式」を迎え、ユニホームを脱いだ。

 「20年もやれるとは思ってもいなかった。常に不安しかなかったよ」

 7年目の00年、習得2年目のシュートが威力を発揮した。4月下旬から9連勝。日曜日に勝ち続け「サンデー晋吾」と呼ばれた。「日曜日かどうかなんて関係なかった。投げることで必死だったから」。光と影。3連勝した直後から激しい右肘痛に悩まされた。「試合前のブルペンでは捕手まで球が届かないぐらいの状態だった」という。気力だけで投げ続けた。

 第二の野球人生はスカウト。小野に適任の仕事だ。「僕はドラフト6位入団。下位指名であってもチームを背負っていける人材を発掘したい。能力だけでなく人間性も含めて。同期の福浦や、今年ブレークした育成出身の西野のようにね」。10月中旬、自身の担当スカウトだった故水谷則博氏(享年51)の墓を訪れた。プロ入りを拒んだ際、必死に説得してくれた恩人に誓った。「これから恩返しをしていきます」。

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2013年12月17日のニュース