前田智 引退決断はここ1カ月 球団慰留も「今回は無理かなと」

[ 2013年9月28日 06:00 ]

引退会見で涙をこらえる前田智

 孤高の天才スラッガーがユニホームを脱ぐ。広島・前田智徳外野手(42)が27日、マツダスタジアムで会見を行い、今季限りでの現役引退を表明した。2007年には史上36人目の通算2000安打を達成するなど、広島一筋24年で通算2119安打をマークしたが、故障との闘いでもあった。「代打の切り札」として期待された今季も4月に左手首骨折。91年リーグ優勝を知る最後の戦士が、波瀾(はらん)万丈の野球人生にピリオドを打った。

 もう勝負師の顔ではなかった。現役引退を決断した前田智は時折、笑顔も交えるなど、スッキリとした表情だった。

 「言葉は悪いが、やっと終わったかな。いろんな重圧というか、そういうものから解放されてホッとしている」

 全てを犠牲にして、ストイックに野球道を求めてきた。気力の限界だった。打撃コーチ補佐を兼任した24年目の今季も「代打の切り札」として期待されたが、4月23日のヤクルト戦(神宮)で江村の投球を左手首に受けて左尺骨骨折。同25日に手術を受けたが、回復は遅れた。

 「8月後半まで骨の修復がうまくいかず、バットを振り始めたが、自分のものとは違う感覚しか出てこなかった。今回は無理かなと思い始めたのは、ここ1カ月くらい」。松田元オーナーを訪れ、引退の意思を報告。慰留に努めてきた球団トップも、最終的に球団功労者の意向を受け入れた。

 2年目から天才的な打撃で外野レギュラーを獲得。92~94、98年にベストナイン、91~94年はゴールデングラブ賞を獲得した。その一方で、故障に苦しんだ。6年目の95年に右アキレス腱を断裂し、00年には左アキレス腱を手術。故障後は、走攻守の総合力で勝負できないもどかしさから自らを「ガラクタ」「前田智は死んだ」と表現した。

 「理想、技術的な向上、目標…、そういうものは諦めたというか、そのレベルではなくなった。折り合いをつけながら、ケガと向き合ってやった」。肉体的、精神的に追い込まれた日々を振り返ると涙が浮かんだ。

 球団は今季史上初のクライマックス・シリーズ(CS)進出を果たした。来季から評論家として活動する前田智は「低迷を脱出し、優勝する日も近づいている。コツコツと力をつけて強いカープをつくってもらいたい」と、チームへの思いを口にした。

 引退試合は10月3日の中日戦(マツダ)に決定。球場の入場券売り場にはチケットを求める人々の長蛇の列ができ、残っていた約1万枚は約3時間で完売した。ファンから愛された孤高のスラッガー。最後も満身創痍(そうい)でグラウンドに立つ。

 ◆前田 智徳(まえだ・とものり)1971年(昭46)6月14日、熊本県生まれの42歳。熊本工では甲子園に3度出場し、89年ドラフト4位で広島入団。91年に史上最年少(当時)の20歳でゴールデングラブ賞に輝き、リーグ優勝に貢献。95年に右アキレス腱断裂、00年は左アキレス腱を手術したが、02年に打率・308でカムバック賞。07年には史上36人目の2000本安打を達成した。92~94、98年にベストナイン、91~94年は4年連続でゴールデングラブ賞を受賞。今季は打撃コーチ補佐を兼任した。1メートル76、80キロ。右投げ左打ち。

 ≪前田智の過去3大名場面≫

 ☆殊勲の三塁打91年10月20日 プロ2年目で初めて経験する西武との日本シリーズ第2戦(西武)で、1―2の5回1死一、二塁から一塁線を破る逆転三塁打を放った。

 ☆涙の決勝弾92年9月13日 巨人戦(東京ドーム)で、1―0の5回に川相の中前への打球を後逸してランニングホームラン。通算200勝まであと2勝だった北別府は勝利投手の権利を失った。8回に勝ち越し2ランを放つも、ベンチで男泣き。ヒーローインタビューにも現れなかった。

 ☆アキレス腱断裂95年5月23日 故障復帰して間もない中、ヤクルト戦(神宮)の初回、二ゴロで一塁へ駆け抜けた際に右足を痛め、そのまま退場。以前から痛めていた右アキレス腱断裂と診断され、約2カ月の入院生活を送った。

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2013年9月28日のニュース