浦学2年エース小島 182球力尽く 9回2死、左足痙攣で強制降板

[ 2013年8月11日 06:00 ]

<仙台育英・浦和学院>森監督(左)の前で泣きじゃくる浦和学院・小島

第95回全国高校野球選手権1回戦 浦和学院10―11仙台育英

(8月10日 甲子園)
 投げたかった。最後まで投げようと思った。でも、体が言うことを聞いてくれない。森士(おさむ)監督から交代を告げられると、浦和学院の小島はよろめきながら三塁ベンチへ戻っていった。涙は止まらない。数分後、カクテル光線に照らされたグラウンドで、無情の幕切れに崩れ落ちる先輩たちの姿が浮かび上がった。

 「自分が…、初回から試合を壊して…。自分の責任。試合を壊してしまって申し訳ない…」

 おえつと無念の言葉が交差する。試合後のインタビューエリア。立っていられない。ふらつく足取りで関係者の用意した椅子に座り込んだ。氷嚢(ひょうのう)で後頭部を冷やし声を絞り出した。「絶対にチームを勝たせるんだと強い気持ちで最後まで投げようと…」。4カ月前、春に輝いた優勝左腕の面影はない。春夏連覇の夢は初戦で散り、2年生エースは敗戦の全てを背負い込んだ。

 異変は初回からだ。直球が全て浮く。3つの押し出し四死球など53球も投じて6失点。下半身が安定せず、なかなか修正できない。3回に自らのタイムリーなどで逆転したが、6回に軸足(左足)に違和感を覚えた。4失点で同点。水分摂取をしながら、8回無死満塁は3者連続空振り三振に斬った。全12球全て直球だった。だが、力を使い果たしたのか、9回に左足が痙攣(けいれん)。ストレッチを繰り返し、スポーツドリンクを飲んでも回復はしない。2死後、小野寺に左前打されたところが限界だった。

 悪夢の11失点。182球で強制降板。「代われるなら私が代わってやれれば…。最後までいかせたかった」。森監督は小島の苦労を知るから、そう言った。埼玉大会準々決勝では埼玉平成を相手に完全試合を達成。同大会を制した翌日から毎朝5時起きで5キロを走り込んだ。順調に見えた春夏連覇への道。だが、見えない重圧と猛暑が小島の体を追い込んでいた。

 すっかり日の暮れた甲子園。小島ははっきりと言った。「自分を鍛え直して、また絶対ここに戻ってきます」。来年の春と夏、あと2度の雪辱チャンスが残っている。

 ≪182球≫浦和学院の先発・小島が8回2/3で182球を投げた。夏に延長試合以外で180球以上を投げたのは、02年に玉野光南・田中が鳴門工との3回戦で、8回2/3で同じく182球を投げて以来。

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