桐蔭エース斉藤 志願連投292球“完投” 勇退監督のためにも

[ 2013年7月24日 06:00 ]

<桐蔭学園・横浜創学館>前日から292球を投げ切った桐蔭学園・斉藤

神奈川5回戦 桐蔭学園4―3横浜創学館

(7月23日 保土ケ谷)
 「292球目」。桐蔭学園・斉藤は直球で最後の打者を二ゴロに打ち取ると、大きく息を吐いた。延長再試合。前日からの2試合24イニングを一人で投げ抜いた。

 「どんなに疲れていようと投げようと思っていた。勝ちにつながってよかった」。4―2の9回にソロ本塁打を浴びた。1点差に迫られたものの、後続を抑えて横浜創学館を振り切った。

 前日は15回170球を投じ、2―2の引き分け再試合。それでも、土屋恵三郎監督に「(先発で)行きたいです」と連投を志願した。今季初先発した前日は気負いから力が入りすぎた。一夜明け。疲労は残っていたが、それで力みが取れた。直球とスライダーを低めに集めて5回まで1安打無失点。6回以降に8安打を許したが、122球で3失点完投した。

 試合での連投で300球近くを投げたのは初めて。それでも「冬場の投げ込みではあった」と胸を張った。11月から2月の4カ月間は1日平均150球を投げ込んだ。多い日には200球以上。「不安はなかった」。その練習量が、斉藤の左腕に自信を与えていた。

 0―0の2回には高校通算7本目となる決勝ソロを右翼席に運んだ。土屋監督は今大会で勇退してしまう。斉藤は大会前に母・由美子さんに「監督に絶対恩返しがしたい」とメールを送っていた。その強い気持ちが、投打で勝利を呼び寄せた。

 雨のため7回に25分間中断しながら、気持ちを切らすことはなかった。名前は「大将(ひろまさ)」。両親から「一番上に立てるように」と名付けられた。神奈川の頂点まであと3勝。「監督を必ず胴上げしたい。次こそ無失点で勝ちたい」。次戦は25日の慶応戦。鉄腕左腕は再び真っさらなマウンドに立つ。

 ◆斉藤 大将(さいとう・ひろまさ)1995年(平7)6月3日、神奈川県生まれの18歳。小学1年から投手として清新ハンターズで野球を始める。中学時代は城東ボーイズに所属し、3年時に日本代表で世界大会4位。桐蔭学園では1年夏からベンチ入りし、同秋から背番号1。1メートル79、74キロ。左投げ左打ち。

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2013年7月24日のニュース