ヤクルト 八木 プロ5年目初完封「8、9回は未知の領域でした」

[ 2013年7月3日 06:00 ]

<D・ヤ>プロ初完封で2勝目を挙げたヤクルト・八木

セ・リーグ ヤクルト5-0DeNA

(7月2日 平塚)
 「夢だ」。ナインとのハイタッチで、ヤクルト・八木はつぶやいた。今季初登板した3月31日の阪神戦(神宮)で藤浪に投げ勝って以来の2勝目。先発12試合ぶりの白星が、プロ5年目で初の完封勝利。左腕は平塚の夜空を見上げて笑った。

 「ファームでも完封は記憶にない。8、9回は“未知の領域”でした。勝てていない時期が長かったので、正直言って今はホッとしています」

 序盤は内角を思い切り突いた。両翼91メートル、中堅120メートルと狭い平塚球場に加え、25本塁打のブランコもいる。だが、捕手・相川の「向かってこい!」のジェスチャーに腕を振った。145キロ前後の直球にスライダー、チェンジアップ。そして90キロ台のカーブで緩急を生かした。6回以降はパーフェクト。後半は序盤の内角攻めが功奏し、変化球が効いた。三嶋との90年生まれの同期対決を無四球で制した。

 初完封も無四球もイースタン・リーグですらない。享栄からのヤクルト入団(前身の国鉄含む)は、同じ左腕の金田正一氏以来。偉大な400勝投手にあやかってプロ入り時は背番号34をつけた。だが左肩痛を繰り返し、10年は2軍登板すらなく背番号も70に降格した。「2軍で投げられない日々があって、完封なんて想像できなかった。まして1軍は」と言う。だが、雌伏の時が強くした。今季6敗中5敗でチームは零敗でも「自分に原因がある」と打線のせいにはしなかった。

 同学年の小川が6月22日広島戦(マツダ)に初完封した際に「笑わなかった。凄い」と刺激を受けた。小川はリーグ単独トップの8勝を挙げている。満足できるはずがない。「援護なく申し訳ない」と言って使い続けてくれた小川監督のためにも、余韻に浸ってはいられない。「まだ期待に応えられていない。これから(白星を)積み重ねたいです」。笑顔と自信を取り戻した八木の力は最下位からの逆襲に不可欠だ。

 ▼ヤクルト・小川監督 ずっと調子は良かったし、いずれ勝ち星がつくと思っていた。でも、無四球は八木からイメージできないね。

 ▼DeNA・中畑監督 ギブアップ。何もさせてもらえなかった。カウントが悪くなっても向かっていく姿勢は、今までにないぐらいの闘争心を八木君から感じた。脱帽、完敗です。

 ◆八木 亮祐(やぎ・りょうすけ)1990年(平2)9月29日、愛知県生まれの22歳。享栄では1年夏からベンチ入り。当時は最速141キロの直球を武器に「東海のドクターK」と称されたが、甲子園出場はなし。08年ドラフト2位でヤクルトに入団。昨季10月1日の巨人戦(神宮)でプロ初勝利。1メートル80、73キロ。左投げ左打ち。

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