山井 あきらめていた7年越しノーヒッター「あの山井とは別人ですから」

[ 2013年6月29日 06:00 ]

<D・中>ノーヒットノーランを達成し谷繁に抱き上げられ喜ぶ山井

セ・リーグ 中日9-0DeNA

(6月28日 横浜)
 中日の山井大介投手(35)が28日のDeNA戦で、史上77人目(88度目)、両リーグを通じて今季初のノーヒットノーランを達成した。07年11月1日の日本ハムとの日本シリーズ第5戦(ナゴヤドーム)で、8回まで完全投球を続けながらマウンドを降りた右腕にとって、実に7年越しの快挙となった。

 無我夢中で追い掛けた。9回2死、代打・内村への115球目。山井はフォークを投じ、打球は一塁寄りの投前に転がった。自らつかんで一塁へトス。史上77人目のノーヒットノーラン達成だ。

 「本当に信じられない。うれしいしかない」。達成した瞬間、ガッツポーズし、恋女房の谷繁と抱き合い、抱え上げられた。トレードマークのサングラスがずれるほどにナインからもみくちゃにされたが、素顔の山井は最高の表情を浮かべた。

 忘れ物を7年越しで手に入れた。07年11月1日日本シリーズ第5戦で8回まで完全投球。ところが9回、落合監督から交代を告げられた。岩瀬との完全リレーで日本一に輝いたが、前代未聞の交代劇。右手中指のマメをつぶしたことが原因だった。10年8月18日の巨人戦(ナゴヤドーム)では8回まで無安打だったが、9回、先頭・坂本に被弾。「縁がないのかなと思っていた」と振り返る。あのシリーズから2066日。落合監督は当時「あいつならまたチャンスがある」と話していたが、山井は成し遂げた。

 シリーズの快投は「忘れてほしい。あの山井大介と今とは別人ですから」という。鋭い切れ味をみせたスライダーは右肘に負担がかかるため、もう投げられないからだ。この日は制球が定まらず4四球と三振数3を上回る。それでも「丁寧に」と集中を切らさず、スライダーとシュートを両サイドに投げ分け、フォークも低めに決まった。ロッテ・古谷が26日オリックス戦(京セラドーム)で9回2死から逃したばかりとあって「9回のマウンドに上がる時打たれて(ネットの)ヤフーとかにいろいろ書かれるとか考えた」と苦笑い。統一球変更でボールが飛びやすくなった今季初の快挙と書かれるだろう。

 開幕前のWBCでは侍ジャパンの代表候補に選出されたが、使用球の対応に苦しみ、最終メンバーから外れた。開幕後も中継ぎで結果を残せず4月下旬に2軍降格。「ずっと悔しさを忘れずに練習に取り組んだ」。5月下旬に先発として1軍復帰。前日の練習中、今中投手コーチが「誰が完投するかな」と漏らした言葉を聞いた。打線も初回に7点の援護。「絶対に完投する」と心に誓った。そして開幕戦から続いていた連続完投なしの球団記録をワーストタイの67試合で止めた。4月19日、延長10回にブランコにサヨナラ3ランを浴びた横浜スタジアムでだ。

 「野球をやり始めて、初めてのノーヒットノーラン。大事に家に置いておきます」。そう言ってウイニングボールを見つめた。シリーズで踏めなかった最終回のマウンド。3人を完璧に抑えた。

 ◆山井 大介(やまい・だいすけ)1978年(昭53)5月10日、大阪府生まれの35歳。神戸弘陵では甲子園出場なし。奈良産大を経て河合楽器に入社。01年都市対抗準決勝で初登板初勝利でチームの初優勝に貢献した。01年ドラフト6巡目で中日に入団。07年日本シリーズ第5戦では8回まで完全投球で日本一に貢献。昨季は中継ぎに転向したが先発、抑えもこなして56試合に登板、4勝3敗15セーブ、防御率1・43。1メートル79、82キロ。右投げ右打ち。

 ◇07年日本シリーズ (11月1日 ナゴヤドーム)
 ▽第5戦
日本ハム
 000 000 000 ―0
 010 000 00X ―1
中  日
 (日)ダルビッシュ、武田久―鶴岡
 (中)山井、岩瀬―谷繁

 中日はCSから通じて初登板の山井が8回まで86球を投げ、打者24人を完全投球。だが、9回は右手中指内側にマメをつくっていた山井に代わり、岩瀬が登板。3人で締めて史上初の「完全継投」を達成し、日本一を決めた。落合監督は「マメをつぶしてなければ迷うところだったが、代える分には抵抗はなかった」と話した。

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