上武大が初日本一 公式戦1安打男が代打逆転満弾

[ 2013年6月17日 06:00 ]

<亜大・上武大>完投で初優勝を決めた横田(右)は、(左から)金沢、三上と抱き合う

全日本大学野球選手権最終日 上武大6―5亜大

(6月16日 神宮)
 上武大が亜大を6―5で下し、3年連続12度目の出場で初優勝を飾った。関甲新学生野球連盟に所属する大学の優勝も初めて。6回、清水和馬内野手(4年)が起死回生の代打逆転満塁本塁打を放ち、谷口英規監督(43)の起用に応えた。横田哲投手(4年)は5試合中4試合に完投し、最高殊勲選手賞、最優秀投手賞の2冠を獲得。11年ぶり5度目の頂点を目指した亜大は、昨年に続いて準優勝に終わった。

 右翼線にフラフラと上がった打球を、3人で必死に追い掛けた。9回、1点差とされ、なおも2死二塁。二塁・大谷は右翼・中と激突してもウイニングボールを放さなかった。初の全国制覇。胴上げされ、3度宙を舞った谷口監督は涙を流した。

 「本当に信じられない。就任当初からのOBの顔も浮かんできて…。うれしいですね」。2点を追う6回、1点を返し、なおも1死満塁。谷口監督は清水を代打に送った。指揮官の東洋大時代の同期が、阪神の桧山。清水は「代打の神様」のように逆転満塁弾を放った。「公式戦2本目のヒットが初本塁打。何が起きたのか分からなかった。やってきたことが報われてうれしい」。今春リーグ戦で公式戦初安打。普段は主力選手の練習をサポートする4年生だ。自主練習では日付が替わるまでバットを振り込んだ。努力は報われた。

 長い道のりだった。谷口監督が就任した00年。野球部は荒れていた。バイクを乗り回し、練習をさぼってはたばこをふかし、茶髪の選手もいた。「やんちゃばかりで、スクールウォーズみたいな感じ。警察の方にもお世話になったし、毎日のように選手とケンカをする夢を見ていた」

 周囲の見る目は当然、冷たい。強豪高校へスカウト活動に訪れれば、名刺を投げ返されたこともあった。だが、真正面から選手と向き合い、徹底的に対話した。私生活から見直し、礼儀やあいさつの大切さを説いた。

 就任から13年がたち、全国大会の常連にした。選手の生活習慣もスクールウォーズ時代とは違う。昨年12月。161人の部員たちは今春の徳之島キャンプの費用をバイトで稼いだ。「建設現場でペンキ塗りとか。親に迷惑を掛けて野球を続けられていることが分かった」と小川主将。選手たちの模範的存在が清水であり、谷口監督は「この子が打てなかったら諦めもつく」と打席に送ると、奇跡が起こった。

 地方リーグの代表が全国の舞台で準決勝で明大を、決勝で亜大をいずれも1点差で下した。谷口監督が掲げる「心の強さ」を選手たちが実践し、日本一にたどり着いた。

 ◆谷口 英規(たにぐち・ひでのり)1969年(昭44)7月20日、熊本県生まれの43歳。浦和学院では西武、ヤクルトで活躍した鈴木健と同期で左腕エースとして2年夏、3年夏に甲子園出場。東洋大3年時に投手から野手に転向。東芝では93年の都市対抗野球で日本石油の補強選手として6本塁打で優勝に貢献し、橋戸賞を獲得。日本代表にも選出された。00年に上武大野球部監督に就任した。同大ではビジネス情報学部スポーツマネジメント学科の准教授も務める。

 ▽上武大学 1968年(昭43)に設立された私立大学。入学から卒業までゼミナール制による少人数教育を徹底している。4年間担任教員を配置し、一貫した個人指導が特色。硬式野球部は関甲新学生野球連盟に所属し、1部リーグ戦で通算23度の優勝。主なOBは加賀(DeNA)、安達(オリックス)、加藤(ロッテ)。所在地は群馬県伊勢崎市戸谷塚町634の1。澁谷正史学長。

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