知らない、辞めない!加藤コミッショナー“ウソ統一球”謝罪だけ

[ 2013年6月13日 06:00 ]

厳しい表情で会見する加藤コミッショナー

 プロ野球の統一球を飛びやすく変更しながら公表していなかった問題で、日本野球機構(NPB)の加藤良三コミッショナー(71)が12日、東京・内幸町のNPB事務局で緊急会見。統一球の変更について聞いたのは11日とし、事実を隠蔽(いんぺい)する意図はなかったと強調。その上で、自身の進退問題にも言及し、辞任の意思がないことを明らかにした。ただ、会見は「詭弁(きべん)」とも取れる主張に終始。幕引きに必死な姿だけが印象に刻まれた。

 統一球問題はついに球界トップの謝罪という事態に発展した。100人を超える報道陣と10台以上のテレビカメラの前で、加藤コミッショナーは切り出した。

 「選手の皆さま、球団の皆さま、関係各位におわび申し上げます」

 前日の労組・日本プロ野球選手会との事務折衝の中で、NPBがミズノ社へボールの変更を指示していたことが明らかになった。当初、下田邦夫事務局長は「昨夏にコミッショナーにも相談した」と話していたが、11日深夜になって「混乱していた」とし、ミズノ社への指示はコミッショナーに伝えていないと前言を撤回。この日の会見で加藤コミッショナーは「私が知ったのは昨日(11日)が初めて」と自らの関与を否定し、「知っていたら公表した。公表して悪いことは何もなかった」と続けた。

 もし、その言葉を信じるなら、コミッショナーとして機能していないことを自ら明かしたも同然だ。むろん「知らなかった」では済まされない。プロ野球の最高責任者であり、統一球を自ら主導して導入したにもかかわらず、変更の事実を知らなかったとすれば、それこそが大問題だ。NPBで、統一球の変更を知っていたのは全部で2人という。12球団にも報告せず、コミッショナーにも相談せずに事務局だけで決めたことになる。密室で球界の大事が進行し、コミッショナーがその事実を知らされていないのなら、NPBはプロ野球の統括機関として機能を失っていることになる。

 開幕後に本塁打が増えたことで各方面から「ボールが変わったのではないか」と指摘を受けながら否定し続けたことに、コミッショナーは「批判には値するが、隠蔽ではない」と言い切り、「天才集団であるプロ野球を信じております。(打者の)工夫や適応力でこうなった」と認識していたと続けた。だが、今年4月と6月に計測した反発係数の数値は確認しているという。その上で今季の統一球に変更が加えられたことを知らなかったというのはあまりにも説得力に欠ける。

 さらに加藤コミッショナーは自らの進退問題についても「私は不祥事だとは思っていない」と、時に怒気といら立ちを込めた口調で繰り返した。対照的に下田事務局長は「全て私の責任。コミッショナーの判断にお任せしております。私の心の中では考えていることはある」と辞任を示唆。ここでコミッショナーは「事務局のガバナンス(統治)強化に努める。その責任は私にある」と、ようやく責任の所在を自らとした。

 NPB事務局では下田事務局長らが早朝から協議、対応に追われたが、加藤コミッショナーが訪れたのは午後8時からの会見の直前。決して説明責任を果たしたとまでは言えないこの日の会見。選手会関係者の一人は「統一球は加藤コミッショナーが始めたし、メンツ、プライドの問題でしょう。責任は重い」とため息交じりに語った。この会見で決して幕が下りたわけではない。むしろ、NPBの隠蔽体質をあらためて浮き彫りにした感が強い。

 ◆加藤 良三(かとう・りょうぞう)1941年(昭16)9月13日、秋田県生まれの71歳。東大から65年に外務省入り。オーストラリア、エジプト、米国大使館勤務などを経て、アジア局長、外務審議官などを歴任した。01年10月から08年5月まで駐米大使を務め、08年7月に第12代コミッショナーに就任。長嶋茂雄、王貞治両氏らとも親交が深い。11年に野球の国際化を目指し、大リーグの公式球に近い低反発の「統一球」を導入した。

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