下柳が引退決断 会見予定なし「人前ではよう話しません」

[ 2013年3月20日 06:00 ]

現役引退を決意し、花束を受け取り笑顔を見せる下柳

 阪神など4球団で通算129勝を挙げた下柳剛投手(44)が現役引退することが19日、分かった。昨季はテストを経て楽天に入団したが、わずか4試合の登板で0勝2敗、防御率5・29。昨年9月に戦力外通告を受けた後、今年2月28日には米国でドジャースのトライアウトも受験したが、不合格に終わった。

 「最後の最後まであがいて“下柳は野球が好きやったんやな”という姿勢は見せられたんじゃないかな。(米国から)帰国後は肩、腰も動かなかった。もう潮時だな、と」と現役続行を断念。米独立リーグからオファーも届いたが、自ら現役生活に終止符を打った。

 90年のドラフト4位でダイエーに入団。故根本陸夫氏に見いだされ、3年目からリリーフとして1軍に定着した。日本ハムから阪神に移籍した03年からは先発として、03、05年と2度のリーグ制覇に貢献。05年には史上最年長で最多勝のタイトルも獲得した。それでも「キツイことの方が多かったよ。楽しかったのは10のうち、1もない。鳴り物入りで入ったわけじゃないし」と振り返る。

 22年間の現役生活。「最初は5年ぐらいと。(入団時に)3つの目標を立てた。“1億円プレーヤーになる”“コナミの野球ゲームに出る”“日本シリーズで勝つ”。2つはかなったのに、日本一にはなれなかった。2回もチャンスがあったのにファンの皆さまに申し訳ない」と頭を下げた。

 引退の決断は、両親、そして阪神で共に戦った同い年の金本知憲氏と矢野燿大氏に伝えた。会見を行う予定はない。「あんな(大勢の)人前ではよう話しません。これが下柳です」。引き際も下柳らしかった。今後は外から野球を勉強する予定で、将来的に阪神からコーチ要請があれば?との問いには「それに見合うだけの力、知識があれば考えたい」と照れくさそうに話した。

 ◆下柳 剛(しもやなぎ・つよし)1968年(昭43)5月16日、長崎県生まれの44歳。瓊浦から八幡大に進学するも中退。新日鉄君津に進み、88年にはエースとして都市対抗初出場に貢献。90年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)入団。95年オフに日本ハム、03年に阪神にトレード移籍。05年には15勝を挙げ史上最年長での最多勝を獲得した。球宴出場5度。1メートル84、95キロ。左投げ左打ち。

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