酒酌み交わす仲の王さん「土俵の姿とは違う、温和な方だった」

[ 2013年1月20日 06:00 ]

1962年、腕相撲をする力道山(左)と大鵬(右)を笑顔で見守る王

元横綱・大鵬さん死去

 元大鵬の納谷さんとともに昭和のスポーツ界を支えたソフトバンクの王貞治球団会長(72)は、盟友の死に言葉を詰まらせた。都内のホテルで、歌手の郷ひろみの結婚披露宴出席中に悲報を伝えられたといい「一時代を、日本の歴史に名を残す人が亡くなったのは大変残念。土俵の姿とは違う、温和な方だった」と惜しんだ。

 ともに1940年(昭15)5月生まれ。高校を中退し、56年に角界入りした納谷さんの方がプロデビューは早かったが、納谷さんが新入幕を果たした60年に、プロ2年目の王会長も初めて全試合に出場。17本塁打を放つなどレギュラーをつかんだ。活躍した時期が重なったこともあり、雑誌の対談などを通じて2人はすぐに意気投合。「大鵬さんが関取になったのと、僕がちょっと打てるようになったのが、だいたい同じだった」と懐かしんだ。

 畑は違えど、ともにその世界の頂点を極めた仲でもあり、思い出は尽きない。現役時代は都内の同じ接骨院に通っていたこともあり、正月には毎年のように1升入るほどの大きな金杯で一緒に飲んだという。「帰りに実家が新宿にあったので“寄って行かない?”なんて言って飲んで、両方とも(酔いつぶれて)寝ちゃったこともあった」と当時を振り返った。

 「巨人、大鵬、卵焼き」と言われたが「巨人は1人ではないけど、あの人は1人だからね。日本の国技と言われる相撲で、あれだけ頑張ったわけだから。残念だね」。「世界の王」にとっても「横綱大鵬」は特別な存在だった。

 ▼巨人・長嶋茂雄終身名誉監督 「巨人、大鵬、卵焼き」などと言われましたが、現役中の圧倒的な強さと揺るぎない精神力は、競技は違っても、われわれに戦うものの究極の姿を示してくれました。年齢こそ私の方が4つ上でしたが、巨人入団は初土俵の2年後、現役引退は3年後と、振り返ると、いつもその偉大な足跡を追い掛けるようなアスリート人生でした。決まった形がなくても、相手に付け入る隙を与えないその取り口も、自分のスタイルと似ているなあ、とよく意識していました。ともにひとつの時代を彩ることができたとすれば、「光栄」の一言に尽きます。まさか病との闘いでも、大鵬さんと同じ道を歩むことになるとは思ってもみませんでしたが、元気なお姿を拝見するたび、自分の励みにしてきただけに、今回の知らせは大変に残念です。

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