マー君 侍背番号はスタルヒンの「17」 18は年長杉内に

[ 2013年1月7日 06:00 ]

侍ジャパンでの背番号が「17」に決まった楽天・田中

 今年3月に開催されるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で侍ジャパンのエースとして期待される楽天・田中将大投手(24)の背番号が「17」に決まったことが6日、分かった。球団で背負っている18番は、年長の巨人・杉内俊哉投手(32)がつける。駒大苫小牧出身の田中は、北海道の英雄で通算303勝を挙げたヴィクトル・スタルヒンが、かつて背負った栄光の番号で世界3連覇を狙う。

 田中に用意された背番号は「17」だった。球界関係者は「背番号の調整は昨年内に調整できている」と明かし、山本監督から侍エースに指名された右腕に用意されたのは、楽天での「18」でも、前回大会の「15」でも、尊敬するダルビッシュ(レンジャーズ)が背負った「11」でもなかった。

 昨年12月から田中は周囲に「(侍ジャパンでは)年上の先輩もたくさんいるから、自分は何番でもいい」と語っていた。18は巨人・杉内、西武・涌井、広島・前田健が所属球団で背負うエースナンバー。日本代表の背番号はこれまで年功序列で選手に意向を確認して決まってきた。その慣例を知る24歳の田中も日本野球機構(NPB)に希望を伝えることはなかった。18は4人の中で32歳最年長の杉内に決定。11はダルビッシュと同じ26歳の涌井がつけることが濃厚で、田中には18から最も近い17が与えられた。

 それでも17は伝説の投手スタルヒンが背負った番号だ。沢村栄治と並びプロ野球草創期に活躍した同投手は巨人などで通算303勝を挙げた。旭川市営球場は通称「スタルヒン球場」と呼ばれ、銅像も設置されている。田中は北海道の駒大苫小牧で高校3年間を過ごした。北海道が生んだスターという共通項。さらに、スタルヒンは18歳で参加した34年の日米野球でメジャーで3冠王にも輝いたジミー・フォックスから三振を奪うなど活躍した。エースとして日本を背負って戦う田中の姿はスタルヒンと重なる。

 前回09年の優勝翌日の会見で当時20歳でチーム最年少だった田中は「次は18番をつけられるように頑張ります」と18をつけて2大会連続MVPとなったエース松坂(当時レッドソックス)の前で強奪宣言を行った。だが、先輩の後を継ぐのではなく、前回大会で空き番号だった17は、活躍次第で「自分の色」に染めることができる。田中は早ければ今季終了後にも、ポスティング・システム(入札制度)を利用してメジャー移籍する。既にヤンキースが獲得を目指しており、WBCではメジャー全30球団の注目を集める。「17=TANAKA」を世界に知らしめることも可能である。

 「僕らは結果を出す以外にやれることはない。日本の野球をアピールできるように頑張りたい」と5日に話した田中。人生初めての背番号とともに、7日から静岡県内でチームメートの青山、釜田らと自主トレをスタートさせる。

 ◆田中の背番号 駒大苫小牧時代には2度全日本入りし、2年時の05年アジアAAA野球選手権では「1」、3年時の06年日米親善高校野球は「2」をつけた。プロ入り後は楽天では入団1年目から「18」。代表では08年北京五輪、09年WBCでは「15」だった。昨年3月の台湾との東日本大震災復興支援マッチで、代表では初めて「18」をつけた。

 ≪49年シールズ戦 53年には全米戦≫スタルヒンは34年の日米野球に初出場したが、戦後も49年サンフランシスコ・シールズ戦、53年全米戦と2度出場を果たしている。シールズ戦は3試合に登板。10月17日第2戦(神宮)では全東軍の先発として4回を無失点の好投を見せている。全米とは1試合のみの登板で、10月26日の第4戦(仙台)に全パの4番手として7回から救援。1/3回を投げ、打者4人に対し、味方の失策もあり2安打2失点と抑えられなかった。

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2013年1月7日のニュース