中畑監督が一目ぼれ ドラフト指名3日後にバラの花束プレゼント

[ 2012年12月6日 06:58 ]

80年3月、長男・淳君にチュッ。夫人も笑顔

 2人のなれそめは1975年。中畑監督が駒大4年の秋だった。日女体大4年でハンドボールの選手だった仁美さんに東京・祖師谷の青果店で出会い、一目ぼれ。共通の知人に連絡先の電話番号を教えてもらい、巨人から3位指名されたドラフト会議から3日後の11月21日、仁美さんの誕生日に赤いバラの花束をプレゼントした。

 ここから交際がスタートし、プロポーズの言葉は「北海道へ一緒に行ってくれないか」。巨人を拒否し、内定していた北海道拓殖銀行に就職するつもりだった。1位が篠塚利夫(現和典、銚子商)で2位は岡田忠雄(中京=現中京大中京)。高校生2人に次ぐ3位指名がショックだった。

 結局は、巨人が「駒大三羽ガラス」と呼ばれた仲間の二宮至(現DeNA野手総合コーチ)と平田薫もドラフト外で獲ってくれることになり、3人一緒に入団。ほとんど2軍で過ごした1年目のオフ、76年12月11日に品川パシフィックホテルで挙式をした。翌77年9月には長男の淳さんが誕生。3年間は2軍暮らしが続いたが、明るさを忘れない仁美さんの支えがあって4年目にようやく1軍定着し、絶好調男として人気者になっていった。

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