ボーグルソン“別人”快投 転機となった「親友」下柳の助言

[ 2012年10月29日 06:00 ]

阪神時代の07年、帰国するボーグルソン(左)を神戸駅に見送りにやってきた下柳

ワールドシリーズ第3戦 ジャイアンツ2―0タイガース

(10月27日 デトロイト)
 阪神の元助っ人右腕の活躍で、ジャイアンツが10年以来2年ぶりの世界一へ王手をかけた。ワールドシリーズ第3戦が27日(日本時間28日)行われ、ジ軍がタイガースに2―0で勝利。先発ライアン・ボーグルソン投手(35)が5回2/3を5安打無失点で、3連勝に導いた。ボーグルソンは今ポストシーズン4試合に登板し3勝、防御率1・09。日本では通算11勝と実力発揮できなかったが、世界最高峰の舞台で輝いた。
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 ボーグルソンは興奮していた。試合後、テレビのインタビューで「日本の皆さん、ありがとう。そして親友の下柳さん(阪神時代の同僚)ありがとう!」と叫んだ。

 「5歳からの夢」というワールドシリーズ初登板。気温8度の寒さも気にならない。カーブとチェンジアップで緩急を駆使し2併殺でピンチをしのぎ、最大の危機となった5回1死満塁ではベリーを外角高めの速球で空振り三振。続く3冠王カブレラには高めのツーシームで遊飛に仕留めた。

 6回2死一塁で交代したが日本球界から復帰した投手では、10年レンジャーズのルイス(元広島)以来となる勝利投手に「この舞台でいい投球ができてうれしい」と喜んだ。00年にメジャーデビューも、苦難の連続だった。01年に右肘の腱移植手術。その後も制球難を克服できず、メジャー定着はならなかった。

 転機は07年の阪神移籍。当時、捕手からのサインに首を振り、そして四球を連発した。それを見た下柳(元楽天)から「捕手を信頼しろ」と言われて改心した。和の心を学び、師匠のベテラン左腕とはカラオケによく行った。同僚たちとも刺し身を食べに行って、日本式を受け入れた。

 精神的にたくましくなったから米国に戻ってのマイナー暮らしにも耐えられた。10年オフにはベネズエラでのウインターリーグに参加。「日本では制球の大切さと忍耐を学び、人間的に強くなれた。人生を切り開く助けになった」。昨季は球宴にも選出。大きく成長できたのは、異国で学んだことが大きかった。

 過去同シリーズで3連勝したチームは23度あり、全てが世界一に輝いた。V率100%。「まだ最後のアウトは取っていない」とボーグルソンは気を緩めないが、待ち望んだ美酒は目前にある。

 ≪4戦連続1失点以内の好投は史上8人目≫ジ軍のポストシーズン6連勝は球団新記録。2試合連続零封勝利は66年のオリオールズ以来だ。記録専門会社によると、第3戦までの先発投手全員に勝ちがつき、各投手が1失点以下だったのは1937年のヤンキース以来2度目。同シリーズ3連勝したチームは過去23度で、うち20度が4連勝、残り3度は4勝1敗で決まっている。ボーグルソンはポストシーズン4試合に先発し、4戦連続1失点以内の好投は史上8人目の記録。

 【ボーグルソンという男】

 ☆生まれ 1977年7月22日、米ノースカロライナ州シャーロット出身の35歳。

 ☆球歴 99年ドラフト5巡目でジャイアンツ入団。00年にメジャーデビュー。01年途中から06年までパイレーツでプレー。07、08年は阪神、09年はオリックスでプレーし日本では通算11勝。

 ☆怒声 来日1年目の07年の春季キャンプで、ブルペンで怒声を上げながら投球。受けた捕手の浅井は「最初は自分が怒られているかと思ったけど違うんですね」と苦笑い。

 ☆乱闘対策? 阪神時代、練習では下柳と絡むことが多く、空手の構えを教わったこともあった。

 ☆愛称 ボギー。この日も6回途中で降板の際、ファンからボギーコールで好投を称えられた。

 ☆サイズ 1メートル91、98キロ。右投げ右打ち。

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