首も右太腿も…傷だらけのダル「こんなに早く終わるとは」

[ 2012年10月7日 06:00 ]

<レンジャーズ・オリオールズ>試合中、グラブを当てて首を伸ばすレンジャーズ・ダルビッシュ

ア・リーグ ワイルドカードゲーム レンジャーズ1―3オリオールズ

(10月5日 アーリントン)
 終戦――。レンジャーズのダルビッシュ有投手(26)は5日(日本時間6日)、オリオールズとのワイルドカード(WC)ゲームに先発。6回2/3を5安打3失点で敗戦投手となり、地区シリーズ進出を逃した。6回には首付近に違和感を覚えながらも続投したが、頼みの強力打線が沈黙した。「1億ドルの男」として入団し、日本人投手では1年目最多の16勝をマーク。ポストシーズンでは一発勝負の大一番を託されたが、チームを球団初の世界一へ導くことはできなかった。
【試合結果】

 試合終了と同時に、ダルビッシュは誰よりも早くグラウンドに背を向け、ベンチ裏へと消えた。2年連続リーグ王者の早すぎる終戦。会見で淡々と言葉を紡いだ26歳は、終わった実感を問われた時、少しだけ言葉を詰まらせた。

 「実感はないですね。やっぱりこんなに早く終わるとは…。僕だけじゃなく、ファンの方もみんな思っている。何すればいいかは、うーん、ちょっと分からないですね」

 今季から導入された一発勝負のWCゲーム。異変が起きたのは6回だ。無死一、三塁からジョーンズに右犠飛を打たれ、勝ち越し点を奪われた後、何度も肩を回すしぐさを見せた。ワシントン監督、トレーナー、通訳も慌ててマウンドへ。25日は首痛で先発を一度回避しており「首というか、つったみたいな形になって、投げられないなと思った」という。しかし、自らストレッチを行い続投。この回を抑えると、7回もマウンドへ。2死二塁で降板するまで、球速を抑えながら91球を投げたが、打線の援護は初回の1点だけだった。

 ユニホームの下の右太腿にはテーピングが施されていた。マイク・マダックス投手コーチは「投手なら誰もが起きること。痛みを感じることはある」と右脚に不安があったことを認めた。満身創痍(い)の中での今季通算30試合目の登板。だが、ダルビッシュは「故障なら投げていない」と言い、最後まで戦い抜いた。

 自分を見失いそうになる時期があった。3試合で19失点と打ち込まれた8月上旬。軸足に体重が乗らず左足が早くついてしまう形を克服できずにいた。その時、通算355勝のグレグ・マダックスGM補佐の声に救われた。「体の部分で一番重いのが頭。ここがブレたらフォームは一定しない」。セットポジションの際にやや前傾姿勢を取ることで、捕手方向に体が倒れていた点を修正できた。自らを「変化することが特長」と言い切る。これが転機となり、8月12日からこの日も含め9試合連続クオリティースタート(6回以上自責3以下)で終えた。

 ポストシーズン初登板は黒星。「こっち(米国)でどういう評価をされるのかは分からない」としたが、レギュラーシーズンではチーム2位の16勝、リーグ5位の221奪三振を記録した。レ軍は入札金も含めて総額1億1000万ドル(約86億9000万円)の巨費を投じたが、ジョン・ダニエルズGMは「獲得は間違いではなかった。来季はさらに凄みを増すだろう」と期待を込めた。

 10月の戦いは1試合で終わった。「気持ちとしてはマラソンを走れと言われて、30キロ地点でさあスパートだというところで止められたみたいな感じ」。だが、苦しんで、悩み抜いた経験は、日本時代にはなかったこと。ダルビッシュにとって大リーグは、刺激的な舞台だった。

 ≪新人初陣初「7K無四球」≫レ軍新人のポストシーズン先発は球団史上初。ダルビッシュは1死球を与えたが、無四球はレギュラーシーズンから通じて今季30試合目で初めてだった。また新人投手のポストシーズンデビューで「7奪三振以上無四球」は地区制を敷いた1969年以降で初。エンゼルスのラッキー(現レッドソックス)が02年リーグ優勝決定シリーズ第4戦(対ツインズ)で7三振無四球を記録したが、登板2戦目だった。

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