困るのは着替えだけ…都大泉の女子部員・羽石 夏1勝呼んだ

[ 2012年7月10日 07:16 ]

<頴明館・都大泉>初回無死二塁 鈴木の中前安打で先制の生還をした矢吹(3)をハイタッチで出迎える都大泉・羽石助監督(中)

西東京大会1回戦 都大泉5―3穎明館

(7月9日 多摩一本杉)
 第94回全国高校野球選手権大会(8月8日から15日間、甲子園)の地方大会は、15大会で129試合が行われた。西東京大会では都大泉の女子部員・羽石悠里外野手(3年)が助監督としてベンチ入りし、穎明館に5―3で競り勝った。また、熊本大会では今春センバツに出場した九州学院の大塚尚仁投手(3年)が、7回参考記録ながらノーヒットノーランを記録した。10日は16大会で133試合が行われる。

 初めての夏の勝利。整列する野球部員を見つめながら、女子部員の羽石はベンチ前で人懐っこい笑顔を見せた。クリッとした目。それでも彼女は立派な球児だ。

 「自分は声を出すことしかできない。みんなが最高のプレーができるよう(次も)声を出して盛り上げます」。声をからし、ベンチ前で選手を出迎える。5―3。接戦を制したナインを陰で支えたのは助監督としてベンチ入りした羽石だった。

 弟とともに小3で野球を始めた。甲子園に憧れ、中学でも野球部に入部しようとしたが断られた。ソフトボールを3年間続けたが「悔しさもあって高校野球がしたいと思っていた」。入試を前に自ら高校に入部可能かどうかの電話をかけ、都大泉からOKの返事をもらった。「みんなで一緒に勝ちたい」。練習は一日も休まず、男子部員と同じメニューをこなした。しかし高野連の規定で、女子部員の公式戦出場は認められていない。1年秋の大会では1人だけベンチ入りできなかった。

 昨夏の練習試合では頭部に死球を受けた。それでも野球をやめようとは思わなかった。着替え以外に「大変だと思ったことは何もない」。誰よりも必死に練習し、男子部員を引っ張ってきた。そんな姿に「羽石がいないとうちのチームは成り立たない」と木之下敬監督。2年春、助監督としてベンチ入りが決定。ユニホームに背番号はない。しかし彼女の背中には「21」が透けて見える。マジックで書かれた数字の上に布を当てた、指揮官によるサプライズ。羽石は「ずっと背番号に憧れていた。うれしかった」と大感激した。

 河野主将も「羽石がチームを盛り上げてくれている」と言う。当初は野球を続けることに反対していた両親も、スタンドから声援を送ってくれた。「小中学生の野球をしている女の子に、女子でも続けられるというのを見せてあげたい」。都大泉をなでしこ球児が盛り上げる。

 ◆羽石 悠里(はねいし・ゆり)1994年(平6)6月10日、東京都生まれの18歳。大泉南小3年時に東勝ファイターズで野球を始める。大泉二中では女子ソフトボール部に所属しポジションは遊撃手。憧れの選手はイチロー(マリナーズ)。家族は両親と弟。1メートル65。右投げ左打ち。

 ◆女子選手と野球 日本高野連は女子部員に関して「男子との体格差がある」ことを理由に公式戦の出場は認めていない。08年センバツに出場した華陵(山口)の高松香奈子さんは開会式でプラカードを持って選手を先導。大学では公式戦出場が可能で、01年5月28日の東京六大学野球春季リーグ戦において、明大・小林千紘投手(当時2年)と東大・竹本恵投手(当時3年)による同リーグ史上初の女子選手の先発対決が実現した。

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2012年7月10日のニュース