“8時半の男”の孫 日大一・宮田、5安打完封

[ 2012年7月9日 06:00 ]

祖父で元巨人投手の宮田征典氏の愛称「8時半の男」に成って、8時半を指す時計を手にガッツポーズを見せる日大一・宮田

 憧れの祖父と同じように、日大一・宮田孝将がマウンドで試合を終える喜びを味わった。背番号「9」の右腕は散発5安打で高校入学後初完封。午後1時43分に始まり、2時間12分で終わらせた。124球を投げ「自分の力で抑えられる投手ではないのでバックを信頼しています」と仲間に感謝した。

 亡き祖父は「8時半の男」と呼ばれた宮田征典氏。日本球界初のリリーフ専門投手で65年に20勝を挙げ、巨人の9連覇スタートに大きく貢献した。宮田は1メートル69。1メートル73だった祖父と同じように体は小さい。直球も120キロ前後。右横手からカーブを交えた祖父譲りの制球力で抑えた。幼少時に祖父とキャッチボールをした経験は「多分あります」と記憶は定かではない。それでもユーチューブで祖父の投球フォームを見て著書にも目を通した。「(本を読んで参考にしたのは)精神面。試合前に気を高めて気合で勝つ」と、3年最後の夏は祖父の教えを実践した。

 春は外野に専念していたが、大事な初戦を任され、奮い立った。大会前、ダルビッシュ(レンジャーズ)が時折見せる横手からの投げ方を参考にフォームを変えた。「自分もやってみたら良かったので」と、度胸の良さも祖父と重なった。

 将来の目標はプロ。中学生になったら野球の指導をしてもらう約束はかなわなかったが、「昼間の男」として天国に成長した姿を見せた。祖父が点数を付けるとしたら。「カウントを悪くしたから60点だと思います」。そう答える姿も自らに厳しい祖父と重なった。

 ◆宮田 征典(みやた・ゆきのり)1939年(昭14)11月4日、群馬県生まれ。06年に肝不全のため66歳で死去。62年に巨人入り。主にリリーフとして登板し267試合で45勝30敗、防御率2・63。ストッパー役として試合終盤にマウンドに上がることから「8時半の男」の愛称で親しまれた。引退後は巨人、日本ハム、西武、中日などで投手コーチを歴任した。右投げ右打ち。

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2012年7月9日のニュース