あと1球で完全試合…杉内、悔しすぎるノーヒッター

[ 2012年5月31日 06:00 ]

<巨・楽>完全試合が…杉内は9回2死で中島に四球を与えガックリ

交流戦 巨人2-0楽天

(5月30日 東京D)
 巨人・杉内俊哉投手(31)が30日、楽天戦で史上75人目の無安打無得点試合を成し遂げた。
【試合結果】

 9回2死から27人目の中島に対して四球を出して完全試合はならなかったが、1四球、14奪三振と圧巻の7勝目で、巨人としては1994年5月18日に完全試合を達成した槙原寛己(スポニチ本紙評論家)以来、18年ぶりの快挙。鹿児島実時代の98年夏の甲子園でもノーヒットノーランを記録しており、プロと合わせてのダブル達成は史上初となった。

 完全試合まであと1球、あとワンストライク。9回2死まで1人の走者も許さず、27人目の代打中島も1ボール2ストライクと追い込む。スタンドからざわめきが押し寄せる。そこからボールが3球続いた。

 「もちろん完全(試合)をできれば良かったけど、勝つことが重要。(フルカウントから)無責任に真ん中には投げられなかった。たとえ安打されても、勝てればよかった。落胆はなかった」

 プロ野球18人目の快挙は逃した。それでも「まだノーヒットノーランがあるし、安打を打たれても完封がある」。緊張感を持続しながらも気持ちを切り替えた。108球目、最後は自信を持つ真っすぐを内角に投げ込み、聖沢を見逃し三振に仕留めた。

 真っすぐの切れが抜群。3回までに7奪三振と序盤から圧倒した。球速的には大半が130キロ台後半だが、ゆったりとしたフォームながら手首の振りが速いために芯で捉えられない。7回に高橋由の先制2ランが飛び出し「そうチャンスはない。意識しないといけない」と快挙に向けてギアを入れた。

 昨年10月に左肩を痛めた。投手の生命線である肩や肘を故障したのは初めてだった。ケガの原因を探る意味も含め、映像で何度も投球フォームを解析。「理想のフォーム」とする沢村賞に輝いた05年と照らし合わせた。体の開きを抑え、肘の高さを修正。「ここ2年は真っすぐに納得いかなかった。今年はキャンプから真っすぐがレベルアップしている」と手応えをつかんでいた。だからこそ、この日は「チェンジアップがよくない」と見るや、ほぼ直球とスライダーだけでねじ伏せ、計14三振を奪った。

 投げ合った楽天・田中の存在も大きかった。6年前の8月21日。田中率いる駒大苫小牧が、斎藤(現日本ハム)擁する早実と夏の甲子園決勝で再試合を演じた日だ。当時、ソフトバンクの杉内は大阪府内で行われた投手練習に参加。チームメートとともにラジオのスピーカーで試合中継を聴きながら汗を流し「凄かった。絶対にプロでも活躍するだろうと思った」と振り返る。この日も「今まで(5度の)対戦で1勝もしていない。相手が田中だったから最初から飛ばした」とアドレナリンを分泌させてくれた。

 FA移籍した巨人では、左腕としては異例のエースナンバー「18」を用意された。重圧はあったが、この快挙で最高級の評価が間違いでなかったことを証明した。

 「ノーヒットノーランはきょうだけのこと。これで18番の重みを感じなくなる、ということはない。1年間活躍して認めてもらうことが大事」。完全試合は次の楽しみに取っておけばいい。

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