平田氏「1つ勝つために命懸け」 広沢氏「怒られ役でした」

[ 2012年5月12日 09:49 ]

星野監督通算1000勝

 【星野監督をスポニチ評論家が祝福】

 ▼平田 勝男氏(阪神時代の02、03年監督付広報) 通算1000勝おめでとうございます。そのうち私も153勝を見させていただきました。2年間ずっと横に付いて、まずきょうも含めて最近顔色がいいのが何よりです。血圧計と血圧を下げる薬を、いつも私は持ち歩いていました。02年の開幕・巨人戦。血圧が240まで跳ね上がり、一人で立っていられない。勝利した瞬間は東京ドームのベンチ裏で、私が支えながら取材を受けていたのを思い出します。その後も、試合中に何度もフラフラになりベンチ裏で横になっておられた。遠征ではコソッと東京の病院に寄って治療を受けてから大阪に戻るというパターン。そりゃ、そうです。1つ勝つためにまさに命を懸けて…というフレーズがぴったりなのですから。負ければ、甲子園のベンチの扇風機が壊れたのは有名ですが、あちこちから“ボコ”“バキッ”と聞こえてきて、コーチ室のドアが蹴られて破れ、トイレが使えなくなったことも。コーチも選手もみんなそれを見ているわけですから、緊張感がありました。

 ▼矢野 燿大氏(中日で3年、阪神で2年間プレー)野球に対してはめちゃくちゃ厳しい監督でした。しかし怒るのにも期待の裏返しだったり、“こいつを何とかしたろう”とか理由があったのを知っているので、選手はそれに応えようと必死でした。そしてユニホームを脱いだら、優しい方ですね。

 ▼広澤 克実氏(阪神で2年間プレー)03年、私の現役最後が星野監督でした。明大の後輩でもあり、“トラ!”と呼ばれて41歳のチーム最年長の私がいじられ役でもあり、怒られ役でもありました。楽天はまだまだ発展途上のチーム。一つでも多く勝たれることを期待しています。

 ▼赤星 憲広氏(阪神で2年間プレー)一番の思い出は03年優勝した日の広島戦でサヨナラ打を放ったことです。打席に立つ前に星野監督に呼ばれ「おまえで決めてこい」と言われて、初球で決められた。レギュラー選手のあり方、プロのチームのあり方をいろいろと教わった。ある試合で送りバントを失敗した。次の打席で取り返そうとノーサインでバントをしようとすると、「そんなことするんなら使わんぞ」と消極的な姿勢を怒られたりもした。プロ2年目で星野監督の下でプレーできたことが自分にとっては本当に幸せでした。

続きを表示

2012年5月12日のニュース