槙原以来29年ぶり…宮国、10代初登板初勝利!

[ 2012年4月9日 06:00 ]

<神・巨>2回2死、マートン(手前)を相手に力投する宮国

セ・リーグ 巨人5-1阪神

(4月8日 甲子園)
 巨人・宮国椋丞投手(19)が8日、阪神戦でプロ初登板初勝利の衝撃デビューを飾った。7回を3安打1失点と堂々たる内容。巨人の10代での初登板初勝利は83年の槙原寛己氏(48=スポニチ本紙評論家)以来、29年ぶりとなった。2年目右腕を援護しようと、前日まで31イニング連続無得点だった打線も今季最多の13安打5得点。連敗を5で止めた原巨人の救世主に、次代のエース候補が高らかに名乗りを上げた。
【試合結果】

 伝統の一戦。この独特の雰囲気を19歳は楽しんでいた。5―0で迎えた7回。ここまで阪神打線をわずか1安打に抑えていた宮国は新井に適時打を浴び、なお無死一、二塁のピンチを招いた。打席はブラゼル。虎党で埋まった甲子園は最高の盛り上がりを見せていた。

 しかし、背番号30は冷静だった。カウント1ボールから2球連続フォークで空振り。ボールを1球挟んで、5球目は再びフォークを選んだ。ブラゼルの強烈な当たりに素早く反応し、この試合3個目の併殺。直球狙いのブラゼルを見越したかのような配球に、川口投手コーチは「19歳にしてうまさがある。引き出しが多い」とうなった。

 今季自己最速146キロを計時した直球と100キロ台のスローカーブが生む緩急を武器に7回を3安打1失点。チームの連敗を5で止めた。敵地・甲子園でのヒーローインタビュー。態度は控えめでも、並の10代の言葉ではなかった。

 「球場に一体感があって緊張したけど、逆にそれを力に変えて。凄い楽しめました」。確かに宮国はマウンドで時折白い歯さえのぞかせていた。

 なぜか。それは、宮国にとって甲子園のマウンドは、届きそうで届かなかった場所だったからだ。高嶺中学1年の夏。2歳年上の兄・翔さんと2人で三塁側スタンドで夏の甲子園決勝を観戦した。視線の先にいたのは、深紅の優勝旗をつかんだ駒大苫小牧の2年生エース・田中(現楽天)。「この大観衆の中で見ているより、いつか向こうで投げてみたい」。糸満高では3年夏に沖縄大会決勝まで進んだが、島袋(現中大)の前に阻まれた。ようやくたどり着いたマウンドは「とても新鮮というか…。多くの阪神ファンの前で投げられたのも良かったです」。その景色は格別だった。

 それでも、やはり19歳。午前9時、宿舎の朝食会場にユニホーム姿で現れた。「そのまま着て行けばいいかなと」と頭をかいたが、驚いた原監督は「少年野球のように試合前早めにユニホームを着て意気揚々と。そんな姿が新鮮でした」と頼もしげにうなずいた。

 巨人の10代投手で初登板初勝利は、83年の槙原以来、29年ぶり。場所も同じ甲子園だ。同時代には斎藤、桑田も10代で勝利を挙げ、「最強3本柱」へと成長していった。「次もきょうのようにゲームをつくれる投球をしたい」と宮国。この19歳にも輝かしい未来を期待せずにはいられない。

 ▼巨人阿部(宮国について)たいしたもんだよ。持ってるものを全部出してくれた。自分としては、カーブをどう生かすかを考えていた。

 ◆宮国 椋丞(みやぐに・りょうすけ)1992年(平4)4月17日、沖縄県生まれの19歳。小学1年で野球を始め、糸満では1年秋からエース。3年夏の沖縄大会では決勝で興南・島袋(現中大)との投げ合いに敗れ、甲子園出場ならず。10年ドラフト2位で巨人入団。同校初のプロ野球選手となった。昨季は2軍で4試合に先発して3勝0敗、防御率0・00。1メートル85、76キロ。右投げ右打ち。

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