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無敵ゆえの苦悩…ダル 日本で「フェアな挑戦ができない」

終始笑顔で質問に答えるレンジャーズのダルビッシュ

 日本ハムからレンジャーズへ移籍したダルビッシュ有投手(25)が24日、札幌ドームのマウンド横で記者会見を行い、1万811人のファンの前でメジャー移籍の理由を初めて語った。5年連続防御率1点台など数々の記録を打ち立てた絶対エースが告白したのは「無敵」ゆえの苦悩。真剣勝負ができる場所を求めた行き先が、メジャーだった。世界最強の投手を目指すダルビッシュは札幌、そして日本のファンに別れを告げ、新たなステージに挑む。

 普段は自分のことを雄弁に語る男ではない。この日は違った。なぜ、メジャーに行くのか。会見は自らの意向で、三塁側内野席を無料でファンに開放して行われた。慣れ親しんだ札幌ドームのマウンド隣に設置された会見席。スーツ姿のダルビッシュは「まだ球団の方にも言ってない」と切り出し、真実を明かした。

 「野球選手として相手を倒すのが仕事だが、最近は試合前から相手に“このカードで投げないでくれ”とか“絶対に打てないよ”と言われるようになった。冗談と聞いていても、これではフェアな挑戦ができなくなる」

 打者を圧倒できる投手になりたい。その思いで右腕を磨いてきた。前人未到の5年連続防御率1点台。誰もが日本最強投手と認めるが、皮肉にも無敵になったことで、いつしか空虚感が湧き上がるようになった。

 「僕は凄く勝負がしたかった。その上で相手が打ってやるという気持ちできて初めて勝負が成り立つ。それがなくなってきて、僕の中でモチベーションを保つのが難しかった」。超一流ならではの苦悩。メジャー移籍は自然の流れだった。

 大阪で過ごした少年時代。スポーツ新聞のデータ欄を見るのが好きだった。物静かな性格だったが、身体能力には恵まれていた。中3時には、日本代表として世界少年野球選手権に出場。ここでエンゼルスのスカウトが興味を示し、秋に入団テストを受けた。初めて大リーグに接する機会となったが、本人も家族もプロになることすら現実と捉えていなかった。「体が細かったから難しいと思った」と父・ファルサさん。自身もプロのサッカー選手を本気で目指した時期があるだけに、厳しさを知っていた。

 東北高時代は膝の成長痛に悩まされた。練習熱心ではなく「高校時代の自分に会えたら“もっと練習しろ”と言いたい」と振り返るが、甲子園に春夏4度出場。周囲の期待も受け、プロの世界に飛び込んだ。そんな中、1年目の05年沖縄キャンプ中に喫煙問題が発覚。謹慎後の6月15日の広島戦(札幌ドーム)、プロ初勝利後の札幌ドームのお立ち台での歓声は今も心の支えになっている。

 「最近、日本人の評価が低い。メジャーより日本の野球が下に見られるのが嫌。世界中の誰もがNo・1はダルビッシュだと言ってもらえるようになりたい」

 ファンから大きな拍手が湧き起こると、目を潤ませた。会見後は何度も頭を下げ、手を振った。世界一の投手になることを誓い、ダルビッシュは海を渡る。

 ◆ダルビッシュ 有(ゆう)1986年(昭61)8月16日、大阪府生まれの25歳。東北で春夏合わせて4度甲子園に出場し、2年夏は準優勝、3年春の熊本工戦で無安打無得点。04年ドラフト1巡目で日本ハムに入団した。2年目に12勝を挙げチームの44年ぶり日本一に貢献。以来、6年連続2桁勝利。07、09年MVP、07年沢村賞、09、10年最優秀防御率などタイトル多数。08年北京五輪日本代表。09年WBC日本代表では世界一に貢献。日本通算7年間で167試合に登板し93勝38敗0セーブ、防御率1・99、勝率・710。1メートル96、98キロ。右投げ右打ち。

[ 2012年1月25日 06:00 ]

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