故津田恒実氏の長男・大毅さん「きょうすごさを実感した」

[ 2012年1月13日 20:04 ]

野球殿堂入りを喜ぶプロ野球広島の関係者。左から北別府学氏、古葉竹識氏、故津田恒実氏の長男の大毅さん、夫人の晃代さん、山本浩二氏

故津田恒実氏野球殿堂入り

 プロ野球広島で抑え投手として活躍しながら1993年に32歳の若さで脳腫瘍のため亡くなった津田恒実氏が13日、野球殿堂入りした。東京都内で行われた記者会見には妻の晃代さん(48)、長男の大毅さん(23)が出席。晃代さんは「生前、主人を支えてくれたファン、球団の方に感謝したい」と目頭を押さえた。

 「炎のストッパー」と呼ばれ、マウンド上で見せたあふれんばかりの闘争心。ただ、普段は冗談好きで心優しい性格だった。救援として打ち込まれ、清川栄治投手のプロ初勝利をふいにした試合後は30分おきに宿舎の清川投手の部屋を訪れ、謝ったという。チームメートだった広島の川端順編成グループ長は「本当に他人に気を使うシャイなやつだった」と振り返る。

 津田氏の病が発覚した91年、広島はまれに見る逆転劇で5年ぶりにセ・リーグ優勝を遂げた。当時、監督を務めていた山本浩二氏によるとチームメートはお守りをポケットに入れ、「ツネ(津田)のために優勝しよう」と誓ったという。「あの年、優勝できたのは津田恒実のおかげ」と山本氏は思い出に浸った。

 死後、広島の本拠地球場のブルペンには津田氏を顕彰する銅板、通称「津田プレート」が掲げられ、今なお津田氏が投手陣の心の支えとなっている。野球殿堂入りは「今まで映像でしか父を知らなかったが、きょうすごさを実感した。津田恒実の息子なんだと感じさせられた」と亡き父を誇った。

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