【11年球界物故者】西本幸雄さん ファンへの返信「こつこつ努力、いつか…」

[ 2011年12月30日 13:18 ]

近鉄監督時代の西本幸雄さん

2011年物故者追悼

 2011年も球界を支えてきた関係者の訃報も多く飛び込んできた。7月、日米球界で活躍した屈指の剛腕、伊良部秀輝さん(享年42)のあまりにも早すぎる死には、対戦した現役選手も絶句した。また、11月には大毎、阪急、近鉄と3球団で監督を務めた西本幸雄さん(享年91)が心不全で逝去するなど悲しみに包まれた。

 玄関前には約150人の熟年から老年の男女が列をつくっていた。阪急や近鉄のジャンパーを着た者や球団旗を振る者もいた。私服で駆けつけたファンの人々だった。

 11月29日、西宮球場跡地にほど近い葬儀場。誰もが「監督・西本幸雄」に別れとお礼を告げにきていた。

 静岡県から来た高校教諭(56)は野球部監督駆け出しの1980年当時にもらった手紙の返信を額に入れていた。

 恋や勉強に悩んだ当時北海道の女子高生ももらった返信を「宝物」と抱いていた。阪急初優勝の67年、西京極球場グラウンドになだれ込み、胴上げに加わった男性(65)は受付で「これを監督に」と当日の入場券を手渡した。遺族の長女や次女は「父も喜ぶでしょう」と棺に入れた。

 西本さんはよく話していた。「こつこつと努力していれば、いつか報われると証明したかったんや」。弱小の「灰色」阪急、「お荷物」近鉄をともに初優勝に導いた。人々はその姿に自分を重ね合わせ「いつかは」と日々の仕事や生活を頑張ってきたのだ。夢を与えた功績こそ最も大きい。

 年が明けると、四十九日法要で故郷の和歌山に帰る。生前最後の帰郷となった08年11月、子供のころカブトムシを捕った山を眺めて「俺も長いこと生きてきたなあ」と懐かしんだ。「おまえがいてくれたからこそ」と愛した妻・和子さん(08年7月死去)が眠る墓に納骨となる。

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2011年12月30日のニュース