「腕をしならせて投げろ」西本さん 斎藤に遺言あった

[ 2011年11月30日 06:00 ]

(左から)足立光宏、佐々木恭介、福本豊、上田利治、長池徳士、梨田昌孝各氏ら阪急、近鉄の教え子が西本氏の棺を運ぶ

 大毎(現ロッテ)、阪急、近鉄(ともに現オリックス)の計3球団で監督を務め、25日に心不全のため91歳で死去した西本幸雄氏の葬儀・告別式が29日、兵庫県西宮市の斎場で営まれた。近鉄時代に指導を受けた前日本ハム監督の梨田昌孝氏(58)、元阪急監督の上田利治氏(74)ら関係者約650人が参列して、最後の別れを告げた。弔辞を読み上げた梨田氏は、故人から日本ハム・斎藤佑樹投手(23)のフォームを改造するように指導を受けていたことを明かした。

 それは、「遺言」だった。梨田氏は弔辞の中で、故人が命のある限り最後まで傾けた野球への情熱、探求心を述懐。今季の開幕前日、4月11日に西本氏に電話をかけた際のことだったという。

 「ええか、よう聞けよ。斎藤佑樹、あいつの投げ方はあかん。左足が突っ立っとる。右腕が棒のようにかかっとるやないか。阪神の能見のように、腕をしならせて投げるよう、指導せえ」

 受話器越しに、西本氏から黄金ルーキーの投球フォーム改造を命じられた。指摘は30分以上も続き電話を切る間際には中田の打撃フォームにも言及があったという。将来の日本球界を背負って立つであろう逸材に、間接的ではあっても指導を惜しまなかった。それだけに、「100歳まででも1年でも長く、プロ野球界のために長生きしてほしかった」との梨田氏の言葉にも実感がこもった。

 そして、名将は教え子たちの「胴上げ」で天国へと旅立った。午後0時30分。霊きゅう車を挟むようにして、車道の左側に阪急、右側に近鉄の球団旗が掲げられた。西本氏が手塩にかけて育て、弱小チームから優勝チームへと鍛え上げた2球団のシンボルマークが、旅立ちを彩った。

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2011年11月30日のニュース