秋山監督“古巣”で6度舞い!ソフトバンク独走連覇

[ 2011年10月2日 06:00 ]

<西・ソ>独走Vダ!王手即決めた!!西武に完封勝ちし、リーグ連覇を決めた秋山監督はかつての本拠で6度宙に舞った

パ・リーグ ソフトバンク3-0西武

(10月1日 西武D)
 ソフトバンクが1日、2年連続17度目のリーグ優勝を飾った。秋山幸二監督(49)にとっては、30年前に西武の外野手としてプロ人生の第一歩を刻んだ場所。かつて本拠とした思い出の球場で、自らが鍛え上げた選手たちの腕によって6度、宙を舞った。内川聖一外野手(29)らの補強と若手の成長がガッチリかみ合った。その結果が、2位・日本ハムに13ゲーム差をつけての独走優勝。就任3年で育てた戦う集団が、頂点に立った。

 あの頃はなかった天井が6度、迫ってきた。リーグ優勝に8度貢献した西武での現役時代の胴上げは、上げる側だった。かつての本拠に大観衆の「秋山コール」が帰ってきた。就任3年目で2度目の優勝。ソフトバンク監督として受けた優勝インタビューは、珍しく冗舌だった。

 「ホッとしている。選手が全力で戦ってきた結果。何回、優勝してもうれしい。ケガが多かったけど、助け合いながらやってくれた。きつかったけど、いい結果で終わった」

 2位に13ゲーム差をつけての独走V。内川、細川、カブレラらを補強し巨大戦力が整った。だが、周囲の「勝って当たり前」という声は重圧になる。交流戦を史上最高勝率・818で制し「予想どおり」の裏で持病の腰痛に苦しんでいた。ハリ治療やマッサージでしのぎながら戦いに集中したが、夜は睡眠導入剤を服用する日々が続いた。「勝ってるからいいけどな。いい薬だよ」。勝利こそ良薬だった。

 ペナントを引き寄せた試合があった。7月29日からの直接対決。0・5ゲーム差で迎えた2位・日本ハム戦(ヤフードーム)に3連勝した。とくにそこまで2戦2敗を喫していたダルビッシュを8安打3得点で攻略した第2戦は、秋山野球の集大成だった。低反発の統一球を強振せずに、主砲の小久保までがセンター中心の軽打に徹した。凡打も含め、打球は15本中10本がセンターより逆方向。犠打も2あり、球界最高右腕をして「いやらしい」と言わしめた。

 連日のヒーローとなった福田ら若手も着実に成長。他5球団が軒並みチーム打率を2分前後落とす中、9月終了時の打率・266と昨季と同じアベレージを維持した。球団47年ぶりに150を超えたチーム盗塁数は現在160。機動力を前面に出す野球は、今季から導入した3軍まで浸透していた。

 ≪11年ぶりの完封自力V≫ソフトバンクは完封勝利で優勝。パで2期制時を除き、完封で自力優勝したのは00年10月7日にダイエーがオリックス戦(○1―0=福岡ドーム)で記録して以来11年ぶり。52年フランチャイズ制以降の敵地では59年10月4日南海が大毎戦(○2―0=後楽園)、60年10月5日大毎が西鉄戦(○4―0=平和台)で記録したのに次ぎ51年ぶり3度目。

 ▽福岡ソフトバンク・ホークス 1938年に南海電鉄を経営母体に創設。44年に近畿日本、46年に近畿グレートリングと改称し、47年から南海ホークス。1リーグ時代に2度優勝し、73年までに10度のパ・リーグ制覇(日本一2度)。その後は低迷が続き、88年秋にダイエーが買収して本拠地を大阪から福岡に移した。
 93年に福岡ドーム(現ヤフードーム)が完成。95年から王貞治監督が指揮し、99年にダイエーで初優勝、日本一に輝く。2000年も優勝したが、長嶋茂雄監督率いる巨人との日本シリーズには敗れた。03年に再び日本一。
 球団買収により05年からは、ソフトバンクとして参戦。王監督は08年限りで退任し、秋山幸二監督が就任した。昨季はリーグ優勝を達成も、CSでロッテに敗れる。球団オーナーは孫正義氏。

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