右手親指骨折の相川 ダメ押し1号!セ60勝一番乗り

[ 2011年9月20日 06:00 ]

<ヤ・横>7回無死、相川が左翼に1号ソロを放ちバレンティンと抱き合う

セ・リーグ ヤクルト3-1横浜

(9月19日 神宮)
 この一発で勝利を確信した。1点リードの7回。ヤクルトの先頭・相川が内角高めの直球を捉え、左翼スタンド中段へ放り込む。ダメ押しの1号ソロだ。シーズン118試合目での1号はプロ17年間で最も遅いペース。親指にテーピングを施した右手を掲げ、一塁側ベンチ前でハイタッチを交わした。

 「1本も打てないかと思っていたけれど、やっと打てた。でも、打ったことより勝った方がホッとしている。いい1点になってくれた」

 8月26日阪神戦(甲子園)で右手親指末節骨を2カ所骨折。全治6週間と診断されたが、同30日広島戦(神宮)から強行復帰した。右手親指をスポンジで覆うドーナツ状のプロテクターを自作し、上からプラスチック製のキャップをはめ、衝撃に備える。バットも負担を軽減するため900~910グラム、33インチと軽くて短い川島慶のものを借り、柵越えしてみせた。

 第2捕手の川本が今月2日巨人戦(神宮)で右足首じん帯を断裂してからは、全試合で先発マスクをかぶり続ける。佐藤打撃コーチは「本人は痛くないと言うが、本当は痛いはず」と舌を巻いた。この日も「もう痛みは取れた」と言い張る相川の姿が頼もしかった。

 チームは97年以来14年ぶりのリーグ60勝1番乗り。8月は苦戦したが、今月2日巨人戦の試合前ミーティングが転機となった。小川監督は「結果を残すことに集中しろ」と選手に通達。努力の過程を重んじる指揮官が初めて口にした「結果」という言葉の重さにチームは結束し、今月13勝2敗1分け。リーグ60勝1番乗りした93、95、97年はいずれも優勝した。

 V率100%のデータを追い風に、ヤクルトが首位を独走する。

 ≪骨折本塁打めも≫ ☆小笠原道大 日本ハム時代の98年5月に左手人さし指を骨折。完治しないまま7月7日の近鉄戦(東京ドーム)の7回に代打で同点2ラン。これがプロ初本塁打となった。痛みに耐えての一発から「ガッツ」の愛称がついた。

 ☆秋山幸二 ダイエー(現ソフトバンク)時代の99年9月8日の西武戦(福岡ドーム)で松坂から顔面に死球を受け頬骨骨折。フェースガード付きヘルメットで復帰し、優勝決定試合となった9月25日の日本ハム戦(福岡ドーム)で先頭打者本塁打。初優勝に貢献すると、中日との日本シリーズでも2本塁打してMVPに輝いた。

 ☆金本知憲 04年7月29日の中日戦(甲子園)で岩瀬から左手首に死球。30日の巨人戦(甲子園)では右手だけの打撃で2安打するなど、その後もフルイニング出場を続けて最終的に34本塁打を放ったが、シーズン終了後、左手首剥離骨折が判明した。

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2011年9月20日のニュース