由規 高校野球は特別 全力でひたむきに感動を

[ 2011年8月5日 06:00 ]

甲子園への思いを込めサインする由規

 6日、夏の甲子園、第93回全国高校野球選手権大会が開幕する。自身も仙台育英時代に夏の甲子園を沸かせたヤクルト・由規投手(21)が、当時を振り返りながら、全国49代表の球児に向けてメッセージを寄せた。3月の東日本大震災で甚大な被害を受けた地域に勇気と元気を与える特別な夏。日本人最速161キロ腕は、今過ごしているこの瞬間の大切さを口にした。

 高校野球が与える影響は正直、プロ野球より大きいと思います。高校野球は特別です。見ている人たちにとってプロ野球より近い存在だったり地元の高校だったり。そのチームを応援している場合もあれば、高校野球全体を応援している人もいる。泥くさくひたむきに、一生懸命に頑張る姿が一番感動を与えると思います。東北地方のチームはあまり練習はできなかったと思いますが、条件は一緒。(震災を)忘れるのは難しいけど、試合になったら野球を素直に楽しんでほしい。そこで悔いを残したら一生後悔する。とにかく悔いが残らないよう、全力でひたむきに。

 ――3月11日。東日本大震災で東北地方をはじめ、東日本は大きな被害を受けた。由規は被害が大きかった宮城県仙台市出身。仙台育英の野球部の仲間も犠牲となった。

 僕は高2の夏、初めて甲子園に出場しました。その時にバッテリーを組んだ1学年上の先輩、斎藤泉さんが東日本大震災で亡くなりました。甲子園に出た当時は考えなかったけど、今になって「あの時は良かったな。こうだったな」と感じることが多い。仲間と会うと毎回、甲子園の話になるので。勝った負けたも大事だけど、一緒に過ごした時間はもっと大事。甲子園に出る選手はまだ野球をやれる。1日1日というか、1回1回の練習も大事にしてもらえればと思います。

 プロ入り後も高校野球はテレビでよく見ています。泥くさくて、ひたむきで。素直に野球を楽しんでいる気持ちが伝わってくる。プロも楽しいけど毎日のように試合がありますし、少し感覚が違います。高校野球は1度負けてしまったら終わりだし、僕自身が凄く思い入れがあるから。

 ――由規は仙台育英で06年夏、07年春夏と計3度の甲子園出場。07年夏1回戦では智弁和歌山戦で17奪三振。2回戦では155キロをマークするなど強烈な印象を残した。

 甲子園では勝った瞬間より、負けた瞬間の方が強く印象に残っています。負ける瞬間自体はあっけなく終わってしまうけど、その短い時間でいろんなことがよみがえるというか、高校野球が終わってしまった寂しさが押し寄せるというか。涙が止まらず、宿舎に帰ってからも一気に力が抜けて「これからどうすればいいんだろう」って。こういう話をすると、また鮮明に思い出します。

 今でも高校野球をもう一度やりたいという気持ちがあります。プレーを見ていると、自分と重ね合わせたりしてしまいますね。県大会の準決勝、決勝になると当時はああいう気持ちでやっていたなあと思い出したり。高校野球は自分の原点。調子が悪い時は、高校時代のビデオを見たりもします。

 ――由規自身も今季は左脇腹痛で戦線離脱するなど苦しんだが、Kスタ宮城で行われた球宴で復帰。首位を独走するチームのキーマンとなる。

 09年にCSで1度投げて一発勝負の緊張感は味わいましたが、自覚が足りなかったし先発も「たまたま」が重なって巡ってきました。今回は立場というか地震のこともあるし、全て特別なものだと思っています。前半戦で左脇腹をケガしてしまいましたが、優勝を狙っているので、後半戦は反省を生かして取り返していきたい。そして高校野球の時のように「負けたら終わり」という緊張感の中でCS、日本シリーズを戦いたいです。 (ヤクルト投手)

 ◆由規(佐藤 由規=さとう・よしのり)1989年(平元)12月5日、宮城県仙台市生まれの21歳。北仙台中1年時に仙台東リトルで世界選手権準優勝。仙台育英では高2夏、高3春夏に甲子園出場。3年夏は甲子園1回戦の智弁和歌山戦で17奪三振。2回戦の智弁学園戦で甲子園最速の155キロをマークした。昨年8月26日横浜戦(神宮)で日本人最速の161キロを出した。1メートル79、76キロ。左利きで右投げ左打ち。3学年違いの弟・貴規はヤクルトの育成選手。血液型A。

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