プリンスホテルで宮本と三遊間 足立修氏が松商学園監督就任へ

[ 2011年8月1日 11:46 ]

99年、プリンスホテルで指揮を執る足立氏

 高校野球の名門・松商学園の小尾淳美監督(51)が、先の全国選手権長野大会を最後に勇退することが分かった。後任は同校OBでプリンスホテル元監督の足立修氏(47)。1日にも発表される予定だ。

 小尾監督は玉川大卒業後に英語教諭として母校に戻り、1983年から5年間監督を務め、85年に明治神宮大会優勝、86年は春夏甲子園に導いた。その後は県高野連役員を務めるなど指導から離れたが、04年4月、部内不祥事で中原英孝前監督が引責辞任した後に復帰。05年、07年、08年の夏に全国出場した。甲子園には計5度駒を進め、86年春に1勝。先月27日の県決勝で昨年に続く逆転負けを喫し「手は尽くした。悔いなしです」と語っていた。

 松商は2年後の創部100周年に向けた推進プロジェクトが今春、発足。同校野球部関係者によると、1928年夏以来の日本一を目指す体制づくりが進む中、小尾監督が今夏限りでの退任の意向を学校側に伝え、了承されたという。これを受けて後任探しが始まり、最終的に絞られたのが同プロジェクト委員で日本アマ球界でもビッグネームの足立氏だった。

 足立氏は高校2年だった80年夏に三塁手として甲子園出場。早大では85年の日米大学選手権の全日本メンバー入りした。社会人の雄・プリンスホテルでは当初は投手、3年目から二塁手、三塁手で活躍。89年に都市対抗優勝、90年に世界選手権出場、93、94年には宮本慎也(現ヤクルト)と三遊間を組んだ。

 95年から00年の廃部まで監督を務め、都市対抗に2度出場。NPBにも小林幹英(97年広島4位)や大沼幸二(00年西武1位)ら数多くの選手を送り出した。廃部後は社業に専念してきた。

 松商は夏は全国最多タイの35度、春も15度の全国出場を誇る。創部100年の切り札として、30年ぶりに伝統のユニホームを着ることになった足立氏。アマ球界の最高峰を知り尽くした手腕に注目だ。

続きを表示

2011年8月1日のニュース