斎藤 緊急リリーフ!「凄く緊張」も見事な火消し

[ 2011年7月23日 06:00 ]

<全セ・全パ>ユニホームの裾を出しながら力投する斎藤

オールスターゲーム2011第1戦 全パ4-9全セ

(7月22日 ナゴヤD)
 2011マツダオールスターゲーム第1戦で、全パのルーキー日本ハム・斎藤佑樹投手(23)が3番手で登板して1回2/3を無失点に抑える好投を見せた。今年の球宴は10年ぶりに3試合が行われる。試合前は東日本大震災の犠牲者を悼んで両チームの監督、コーチ、選手の全員がベンチ前に整列し、黙とうをささげるなどした「特別な夏の祭典」。黄金ルーキーは、24日の第3戦(Kスタ宮城)でも登板を予定している。試合は9―4で全セが勝った。
【試合結果】

 頭の中は真っ白だった。万雷の拍手も斎藤には聞こえていなかった。

 「凄く緊張した。あそこで出番が回ってきそうな雰囲気も察知していなかった。でも、心の準備をする時間がなかったので逆によかったのかな」

 まさにスクランブル登板。予定は7回からだったが投球練習中の5回1死でベンチから呼ばれた。チームの先輩、武田勝が集中砲火を浴びて前倒しとなったマウンド。肩も出来上がっていない。サインも決めきれていない。それでも目の前のミットめがけて必死に腕を振った。ユニホームの裾が出ていても気付かないほど打者に集中した。2死から相川、荒木に連打を許したが、マートンを外角低めのフォークで遊ゴロに打ち取った。6回は早大の先輩、青木に左前打されたが、前の打席で3ランの畠山を低めの直球で二ゴロ併殺に仕留めるなど無失点。最速は141キロも、低めに集める持ち味を発揮して、勢いづいた全セの強力打線の流れを完全に断った。

 「試合中は必死で楽しむ余裕もなかった。でも終わってみると楽しかったと感じるようになった。不思議な感覚だけど、いい経験になった」

 球宴出場は半ばあきらめていた。5月8日のソフトバンク戦(札幌ドーム)で左脇腹を痛め、約1カ月半も2軍生活を送ったが「最後の1人枠」で選出された。「本当に僕でいいのかな?」と周囲にこぼしもしたが、投票してくれたファンのために懸命に投げることが自分の使命だと考えた。

 斎藤自身は群馬出身で東北地方に縁はなかった。しかし、今回の震災で被害を受けた被災地の映像を見るたびに心を痛めた。多くの選手が被災地に義援金などを送ったが、自分はプロでまだ実績がないルーキー。どんな支援ができるのかを考え続けた。チームの支援活動以外に、島崎2軍投手コーチの自宅が福島県いわき市にあると聞くと、避難所となっている近所の小学校へ野球道具などを贈った。愛用品に直筆のメッセージも添えて同コーチに託した。自分にできることを全力で取り組むのが斎藤流。当初予定の第3戦だけでなく、19日に第1戦登板の打診を受けた。「体力的には大丈夫」と快諾したのも、多くのファンが喜んでくれると考えたからだ。

 「きょうはきれいに行かなかったけれど、その第一歩にはなったかな」。一流選手が集う真夏の祭典で、持ってる男はその存在感をしっかりと示した。

 ≪新人が回の途中から登板は20年ぶり≫斎藤(日)が5回1死から登板し、1回2/3を無失点。新人が回の途中から1イニング以上を投げたのは、91年(2)戦の森田(中=9回2死から2回1/3を無失点)以来の珍しいケースとなった。斎藤が第3戦も登板すれば、新人では92年河本(ロ)以来の複数試合登板となる。またこの日は榎田(神)も登板。球宴で新人2人が登板するのは03年(1)戦で永川(広)和田(ダ)が登板して以来。

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