ソフトバンク・内川父が監督 情報科学涙のサヨナラ負け

[ 2011年7月12日 06:00 ]

<情報科学・大分鶴崎>情報科学ナインは、試合後の円陣で涙をこらえ内川監督の話を聞く

大分大会1回戦 情報科学10―11大分鶴崎

(7月11日 新大分)
 かつての教え子と交わした約束は果たせなかった。「重光監督のためにも勝ちたかった…」。無念のサヨナラ負けに、ソフトバンク・内川聖一の父でもある情報科学・内川一寛監督の涙は止めどなくあふれた。

 9日に起きた大分県の大分自動車道のバス事故で、県立森高校(同県玖珠町)野球部監督の重光孝政さん(44)が死亡、部員ら23人が重軽傷を負った。内川監督が指導者としての第一歩を踏み出した国東で、初めて迎えた新入生が重光監督と楽天の吉田豊彦育成投手担当コーチだった。チームの中心選手として手塩にかけ、重光監督が亜大卒業時に指導者の道を勧めたのも内川監督だった。

 08年に重光監督が森高に赴任すると、年2回の定期戦も始めた。今年5月は情報科学が森高に赴き、2人でチームづくりについて語り明かした。「教え子で監督業に就いたのは彼だけ。教え子であり、同時に私の悩みを聞いてくれる同僚でもあった」。前夜は通夜に駆けつけ、「選手時代のように(遺体を)抱きしめたかった」と棺の前で泣き崩れた。

 「お互いチーム状態が良く、この夏は面白い戦いができる手応えがあった。2人で“いつかは県決勝で会おう。そうなればどちらかが甲子園だが、俺が年上だから先に行く”と話していたのに…」。その夢は永遠にかなわなくなった。

 森高の初戦はあす13日。「森高には勝ち負け関係なく、重光監督の思いをぶつけてほしい。そして私は甲子園に早く行かないと。重光監督がゆっくり休めない」。他界した最愛の教え子のためにも、54歳のベテラン監督は再出発を期した。

 ▼情報科学・阿南主将(8回の勝ち越し2ランも実らず)点を入れないといけない場面で、左翼の頭上を越えろ、とだけ思って振り抜いた。厳しくて優しい監督のためにも、下級生たちにはもっと上に行ってほしい。

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2011年7月12日のニュース