許銘傑改めミンチェ9年ぶり完封!西武3連勝

[ 2011年5月8日 06:00 ]

<楽・西>9年ぶりの完封のミンチェ(右)は銀仁朗とグータッチ

パ・リーグ 西武4-0楽天

(5月7日 Kスタ宮城)
 西武のミンチェ投手(34)が7日、今季初先発した楽天戦で132球を投げきり、自身9年ぶりの完封勝利を飾った。12年目の右腕は8安打を許しながら要所を締めて、02年8月21日のダイエー(現ソフトバンク)戦(西武ドーム)以来3181日ぶりとなる快投で2勝目を挙げた。チームは前日のルーキー、牧田和久投手(26)に続く2試合連続完封で今季初の3連勝。5位に浮上した。

 マウンド上でハイタッチを終えたミンチェは、誇らしげだった。完投は2年ぶり、完封勝利は実に9年ぶりだ。久しぶりの余韻に浸ったヒーローは、流ちょうな日本語で喜びを表現した。

 「ちょっとお待たせしました。凄いうれしいです。きのうは牧田が完封して自分もアピールしたかった」

 9回以外は毎回走者を背負ったが、多彩な変化球を駆使した。4回はラズナーの頭部付近の投球をめぐって乱闘騒ぎとなったが、臆することなく内角を突いた。6回無死一、二塁は山崎に内角シュートでバットを折るなど、最後まで攻めた。「シュートは自分の投げたいところに投げられた」と笑顔で振り返った。

 来日12年目。今季から登録名を許銘傑(シュウ・ミンチェ)からミンチェに変更した。 「許はたくさんいるけど、ミンチェは俺しかいないから」。心機一転で迎えたシーズンも、当初の役割は中継ぎだった。先発が崩れた際のロング救援で、4月16日のソフトバンク戦(ヤフードーム)は2回途中から4回2/3を投げて今季初勝利。不調の平野に代わってつかんだ先発の座で、今度は完封とチャンスをものにした。

 自らの好投で恩返しをすると決めていた。8回終了時で124球。渡辺監督から「完封したい?」と聞かれると「したい!」と即答した。入団6年目で初めて未勝利に終わった05年、当時2軍監督だった渡辺監督から食事に誘われた。来日2年目に11勝を挙げながら、年々成績が落ち込んでいた時期だけに台湾球界でプレーした経験もある指揮官の気遣いを「うれしかった」と振り返る。

 チームを3連勝、5位浮上に導く132球の熱投も「銀仁朗が良いリードをしてくれた」と2度繰り返した。23歳で台湾から海を渡ってきた若者も今や中堅。先発、中継ぎ、敗戦処理と、どんな役割も文句を言わずに黙々とこなしてきた。謙虚さと勤勉さを持つ右腕が、12年目の意地を見せた。

 ▼西武・小野投手コーチ(ミンチェについて)素晴らしいね。勝つという気持ちが出ていた。

 ◆ミンチェ(本名・許銘傑=シュウ・ミンチェ)1976年12月1日、台湾・彰化県生まれの34歳。中正高工を経て98年にプロ野球・台湾大連盟の台中金剛に入団。00年に西武入り。6勝を挙げると、翌01年には11勝をマーク。02年は9勝を挙げリーグ制覇に貢献。06年には横手投げにも挑戦した。今季から登録名をミンチェに。1メートル82、90キロ。右投げ右打ち。

 ≪最長ブランクは11年≫西武・ミンチェが02年8月21日ダイエー戦以来9年ぶりの完封勝利。完封勝利のブランクとしては48年藤村富(神)、98年横田(西)の11年ぶりに次ぐ記録になった。ただし2人とも未登板のシーズンを途中に挟んだもの。ミンチェのように毎シーズン1軍登板を継続した投手では80年西井(ヤ)、83年安木(中)の8年ぶりを抜いて最も長くなった。西武は前日の牧田に続き2試合連続完封勝利。3試合以上の連続完封は57年6月25日大映戦~29日南海戦(3試合連続)、93年8月7日ダイエー戦~12日ロッテ戦(4試合連続)とチームで2度あるだけ。1人で完封が3試合続いたことはないが、8日先発予定の帆足はどうか。

 ▽西武の完封勝利 昨季は10試合あり涌井と岸が2試合ずつ、帆足と平野が1試合ずつ、4試合は継投での完封だった。チーム20試合目で今季3度目の完封勝利は昨季の23試合目より3試合早い。

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2011年5月8日のニュース