東北へ届け!マー君、思い出の聖地で完投1勝

[ 2011年4月16日 06:00 ]

<楽・オ>ファンの声援に応える田中

パ・リーグ 楽天3―2オリックス

(4月15日 甲子園)
 マー君が甲子園で輝いた。楽天・田中将大投手(22)が15日、今季初の主催試合となったオリックス戦で9回7安打2失点の完投勝利を飾った。甲子園でパ・リーグが主催試合を行うのは初とあって、観衆は1万5562人止まり。それでも、駒大苫小牧時代に聖地を沸かせた右腕が、気迫の投球でスタンドを盛り上げた。東日本大震災で甚大な被害を受けた東北のファンにも、前に向かう姿勢や思いは届いたはずだ。

 技術のズレは気持ちで補った。打者に向かう姿勢を前面に出して、貪欲に勝利を求める。聖地のマウンドで自身の原点を思い出した。

 「序盤はフォームのバランスが悪くて、どうやって上げていこうか考えすぎていた。逆転してもらって、気持ちでいくしかないと。受け身になって、打者に対して気持ちが向いていなかった」

 味方が逆転した直後の7回、田中が変わった。2死からバルディリスを外角直球で見逃し三振。右足を蹴り上げて雄叫びを上げると、右手の拳を強く握りしめた。さらに、一打同点の8回2死二塁のピンチだった。代打・伊藤に1ストライクから、2球連続で150キロを超える直球を投じた。投球後は帽子が落ち、バランスを崩すほどの力投。最後はスプリットで空振り三振を奪い、気迫で打者を圧倒した。

 田中にとって、甲子園は特別な場所。空席が目立ち、球場を揺らすような声援がなくとも「いろんな思い出がある球場」と気持ちに変化はない。駒大苫小牧で春夏合わせて3度甲子園に出場し、12試合で8勝無敗。3年夏は早実・斎藤(現日本ハム)と投げ合って再試合の末に敗れたが、記憶に焼き付ける一戦を演じた。「甲子園でヒーローインタビューは変な感じがします。高校野球では一塁ベンチで負けましたけど、きょうは勝ちました」。お立ち台では笑いを誘い、歓声を浴びた。田中がマウンドに立つ甲子園は、見る者にとっても特別だ。

 だからこそ、星野監督も聖地のマウンドを田中に託した。東日本大震災発生前は、開幕投手を任せるつもりだった。ボールに開幕日3月25日の日付とサインを入れて田中に投げ渡した。しかし、地震で開幕が延期となり、今季初の主催試合が甲子園に決定。「甲子園は田中しかいない」と変更を告げられた右腕は指揮官の心意気に応え、約束通りにウイニングボールを手渡した。

 昨季は不完全燃焼のままシーズンを終えた。8月29日の西武戦(西武ドーム)で右大胸筋を痛め、その後は戦列復帰できなかった。お立ち台の最後には「東北のみなさん、やりました」と大声で勝利を報告した。チームは09年5月13日以来の首位に立った。被災地の思いを背負いながら、自身も巻き返しを図る今季。「特別な1年」と位置づける田中のシーズンは、特別な地で手にした勝利から始まった。

 ▼楽天・星野監督(甲子園での勝利について)久しぶりなのに、たくさんお客さんが来てくれた。遅い開幕という中で、関西の人の優しさを感じた。

 【田中と甲子園】
 ☆初登板 駒大苫小牧2年春の戸畑(福岡)戦で先発。自己最速の143キロをマークし、6安打1失点で完投勝ちした。

 ☆斎藤との投手戦 3年夏に33年の中京商(現中京大中京)以来73年ぶりの夏3連覇を狙い出場。大阪入り後に体調を崩しながらも順調に勝ち進んだ。決勝では斎藤(日本ハム)擁する早実(西東京)と対戦。引き分け再試合の末に敗れ3連覇を逃した。

 ☆甲子園プロ初勝利 入団4年目の10年5月16日、阪神との交流戦に先発。MAX151キロの直球で押しまくり7回5安打3失点。06年夏の甲子園準決勝・智弁和歌山(和歌山)戦以来、1366日ぶりの白星を挙げた。

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