西岡 左すね骨折!“メジャーの洗礼”戦線離脱

[ 2011年4月9日 06:00 ]

<ヤンキース・ツインズ>7回、マーク・テシェイラの三ゴロで二塁封殺の際、一走・ニック・スウィッシャー(33)のスライディングを受けながら必死に一塁へ送球する西岡剛

ア・リーグ ツインズ3―4ヤンキース

(4月7日 ニューヨーク)
 わずか6試合で戦線離脱――。ツインズの西岡剛内野手(26)が7日(日本時間8日)、ヤンキース戦で左すねの腓(ひ)骨を骨折した。7回の守備で走者の激しいスライディングを受けて交代。エックス線検査で骨折が判明した。15日間の故障者リスト(DL)入りした西岡は、8日(同9日)に本拠地ミネアポリスで精密検査を受ける予定。1カ月以上の長期間の戦線離脱は避けられない見通しで、本拠地デビュー前夜に侍ルーキーが悲劇に襲われた。
【試合結果】

 西岡は試合後のクラブハウスに松葉づえ姿で現れた。やるせないような苦笑いを浮かべ「最悪ですね」と漏らした。

 「レントゲンを見て“折れているな”と。吐きそうになりました。負けが込んでいる中で暗いニュースを持ち込んでしまって…。チームにも申し訳ない」。開幕わずか6試合目で、人生初の骨折という事態に見舞われた。7回1死一塁。三ゴロ併殺の二塁カバーに入った西岡の左すねに、併殺崩しを狙った一塁走者スウィシャーの左膝がまともに当たった。通訳とトレーナーの肩を借りて退場。検査では腓骨に20センチほどの亀裂が見られた。

 伏線は2つあった。まずは骨折の直前、無死一塁での遊ゴロ。西岡は二塁塁上でジーターの滑り込みを跳び上がってかわしたが、一塁送球はワンバウンドでセーフ。2度目はジャンプせず、体を張ったのが災いした。

 もう1つは、激しい交錯プレーが当たり前な環境での技術面の問題だ。中継した「YESネットワーク」の解説者は「この3連戦で3度、併殺プレーで三塁側にステップしていた。それをヤンキースは知っていた」。併殺を崩すため、守備の癖も研究するのがメジャー。しかも西岡が長く経験してきたのは遊撃手で、過去に同様のケースで故障した岩村、松井稼と同じく本職の二塁手ではない。それでも本人は「当たり前のプレー。僕が走者でもああいうスライディングをしていた」と恨み言は口にしなかった。

 チームドクターの精密検査を受ける8日は、本拠地で松井擁するアスレチックスと対戦、第1子を8月中旬に出産予定の直子夫人(26)や両親も観戦予定だった。「タフな選手だし、ニシは必ず戻る」とロン・ガーデンハイアー監督。しかし腓骨以外にも損傷が及んでいた場合、さらに長期の離脱も考えられる。

 「これも自分の人生だと思う。心にも体にも痛みがありますけど、日本では地震で多くの人が亡くなられたし、大変な思いをしている。僕も負けないよう、日本の皆さんと一緒に頑張っていきたい」。プレーで日本に勇気を与えると言い続けてきた西岡は、懸命に気持ちを切り替えていた。

 <ヤンキース スウィシャー試合後直接謝罪>西岡を骨折させてしまったヤ軍・スウィシャーは、試合後に医務室へ出向き直接謝罪。「悪く思わなくてもいいと言ってくれて、気持ちが楽になった。自分は激しいプレーをするが、ケガさせようと思ったことはない」と神妙な面持ちだった。そのスライディングについては、両軍ともラフプレーではないとの認識。ヤ軍のジラルディ監督は「併殺を阻止するのは走者の本能」と言い、ツ軍・ガーデンハイアー監督も「純粋なプレーだった」と責めなかった。

 【メジャー内野手の故障】

 ◆岩村=左膝前十字じん帯の部分断裂 レイズ時代の09年5月24日のマーリンズ戦の8回、1死一、二塁の場面で併殺を防ごうとした一塁走者のコグランと二塁ベース上で激しく接触。左膝の前十字じん帯断裂で、全治は8カ月前後とされた。しかし手術の際に、部分断裂だったことが判明。8月29日のタイガース戦で復帰した。

 ◆松井稼=左すね、左膝打撲 メッツ時代の04年7月30日のブレーブス戦で、走者ジャイルズの併殺阻止のスライディングを受け左すねを打撲。8月3日のブルワーズ戦など3試合でスタメンを外れた。また05年6月16日のアスレチックス戦でも併殺プレーの際に走者と衝突、左膝を打撲しDL入り。8月9日パドレス戦で復帰した。

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