九国大付準V 若生監督「よく戦ってくれた」

[ 2011年4月4日 06:00 ]

<九州国際大付・東海大相模>決勝を戦い終えた東海大相模・門馬監督(右)と九州国際大付・若生監督は握手をかわす

第83回選抜高校野球大会決勝 九州国際大付1―6東海大相模

(4月3日 甲子園)
 「息子たち」と呼ぶ選手たちの胸にかかったメダルは銀色。それでも九州国際大付・若生監督は目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。

 「(初優勝の)チャンスだったが、選手たちはよく戦ってくれた。満足している」。前夜、一緒に風呂に入り「気持ちでいけ」と激励した三好が力尽きた。疲労からボールが先行。甘く入った直球を狙い打たれた。5回以降は肘が上がらなくなり、自身初の1試合2被弾。5試合、計618球を1人で投げ抜いたエースは「情けなかった…」と唇をかんだが、指揮官は「素晴らしい投手になった」と奮闘を称えた。

 06年、若生監督は胸部のじん帯が硬くなり運動や知覚の神経を侵す「胸椎黄色じん帯骨化症」という原因不明の難病を発症。下半身の自由を失った。大会直前にはインフルエンザで右足に菌が入り、移動も車椅子を使わなければならなくなった。震災では家族を残した仙台の自宅が被災。教え子も亡くした。幾重もの困難に立ち向かい、試合中はベンチの柵をつかんで立ち上がり、身を乗り出して指示を飛ばした。

 この日朝には、宿舎に東北時代の同僚教諭2人が「応援に来ました」と訪ねてきた。大会中は「被災地に勇気を与えてください」との電話が数え切れないほどあった。希望を託す人々の思いに「ここまで来られたのは仙台の皆さんの力もあるのかな」。快進撃は、初戦で敗れた母校・東北から引き継いだ使命でもあった。「私も被災地に少しは勇気を与えられたんじゃないかな」。車椅子で聖地のグラウンドに上がった若生監督は、そう言ってうなずいた。

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