光星学院 粘り及ばず…東北勢姿消す

[ 2011年3月30日 06:00 ]

<智弁和歌山・光星学院>聖地にあいさつをする川上(右)ら光星学院ナイン

第83回選抜高校野球  光星学院2―3智弁和歌山

(3月29日 甲子園)
 君たちを忘れない。2回戦が行われ、第3試合で東日本大震災の被災地にある光星学院(青森)が、智弁和歌山と対戦。1度は逆転しながら2―3で敗れたが、強豪相手に気後れすることなく最後まで立ち向かった。これで大館鳳鳴(秋田)、東北(宮城)と東北地方の3校全てが敗退した。光星学院ナインは31日に、震災後初めて学校がある青森県八戸市に帰郷する。
【試合結果 組み合わせ】

 泣かなくていい。最後は智弁和歌山打線のしぶとさに屈したエースの秋田は「僕の責任。相手が上だった」とかすかに目を潤ませたが、被災した東北地方への思いを込めて、今大会の東北勢「最後の砦(とりで)」として十分に戦った。

 惜しみない拍手と歓声を背に、川上主将は「普通に野球ができることを感謝させられる大会だった。守っていても、塁上にいても大きな声援を送ってくれてありがとうと言いたい」と素直な気持ちを口にした。

 魂を込めた戦いは、青森県はもちろん、被災した東北全体へのエールでもあった。仲井宗基監督は東北福祉大の後輩で、前日に敗退した東北(宮城)の我妻敏部長から「頑張ってください」と無念の思いを受け取り、「東北のためにも頑張ろう」と選手にゲキを飛ばした。

 どうしても勝利を届けたい仲間がいた。女子マネジャーの左京翼さんと斗沢優希さん(ともに3年)だ。選手全員分のお守りを用意してチームとともに青森県八戸市から大阪入りするはずだった。だが、チームが沖縄合宿から空路で羽田空港に着陸する直前に東日本大震災が発生。チームは地元に帰れず、女子マネジャー2人もそのまま青森に残るしかなかった。野球部の小坂貫志部長は「電話したときは残念がって声に元気がなかった」と振り返る。試合前に2人からの手紙を全員の前で代読した川上主将は「今度はマネジャーと一緒に夏に戻ってきたい」と約束した。

 地元復興を志すのが控え捕手の荒屋敷だ。八戸市で建築業を営む父・司穂(つかお)さんの影響を受け、高校卒業後は父と同じ道を歩むと決めている。今大会は出場機会がなかったが、「お父さんの造った野球場とかは今回の地震でも壊れなかったと聞いている。僕も一緒に復興の手助けをしたい」。深刻な被害を受けた故郷の再建へ意欲をみなぎらせている。

 ナインは沖縄入りした今月6日以来、31日に25日ぶりに故郷に帰る。震災から20日たってようやく変わり果てた街、厳しい現実に直面することになる。それでも、仲井監督は「選手たちはよく頑張った。私にとっても忘れられない大会になると思う」と話し、光星学院ナインは大きな思い出と希望を甲子園に刻んだ。

 ▼日本高野連・奥島孝康会長 (東北勢3校の戦いについて)練習をあまりできなかった学校もあったし、心理的な不安を抱えた中での出場だったと思う。その中でよく戦ったんじゃないでしょうか。

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