阪神大震災直後もセンバツ開催…「被災地の励み」に

[ 2011年3月18日 18:57 ]

 1995年、阪神大震災発生の2カ月後に開催された第67回選抜高校野球大会。甲子園球場のある兵庫県西宮市でも避難所生活を強いられている人が多く、反対の声も少なくなかった。「被災地の励みになる『復興のセンバツ』にしよう」。開催を後押ししたのは、当時の貝原俊民知事(77)や県職員らだった。

 「震災にめげて(大会が)できなければ、復興に向けて元気が出ない。そう思ってやろうと決めた」と貝原前知事。西宮市長や県高校野球連盟と相談して決意した。「高校球児が甲子園でプレーする姿に被災地は元気づけられただろう」と振り返る。

 西宮市では当時、復旧のためイベントが次々と中止に。だが当時の馬場順三西宮市長(85)は知事の方針に賛同した。「震災が残した爪痕と復興への願いを全国に訴えるチャンスになるのではないか」。そう思ったという。

 大会では被災者に配慮し、開会式を簡素化。応援に笛や太鼓などの鳴り物を使用しない異例の対応を取った。当時、県教委の課長で日本高校野球連盟理事だった吉井宏一郎さん(70)は「余震が起きた場合の避難計画など慎重に準備を進めた」と苦労を明かす。

 今回の開催決定について吉井さんは「16年前は震災後だったが既に街は落ちついていた。今回は被災直後で地域も広範囲に及んでいる。難しい判断を迫られただろう」と話した。

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2011年3月18日のニュース