16年前と思いは同じ 報徳学園「一生懸命」やるだけ

[ 2011年3月16日 06:00 ]

初戦での対決が決まった報徳学園の高原主将(左)と城南の出口主将

第83回センバツ組み合わせ抽選会

 第83回選抜高校野球大会(23日から12日間、甲子園)の組み合わせ抽選会が15日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールで開かれ、1995年に阪神・淡路大震災で被災しながらセンバツに出場し、被災地に勇気と感動を与えた報徳学園(兵庫)は、初出場の城南(徳島)との対戦が決まった。東日本大震災発生により、現段階では開催不透明な今大会。開催されることとなれば、16年前同様に報徳学園の「一生懸命」な思いとプレーが、遠く離れた被災地にも届くに違いない。

 報徳ナインにとって、今春センバツの有無は別問題だ。何があっても、どんな時でも、とにかく一生懸命にプレーすること-。それこそが、16年前から報徳学園が築き上げてきた伝統だ。

 未曾有の大被害をもたらしている東日本大震災の発生により、大会の開催は不透明なものの、抽選会が開かれ対戦相手が決まった。

 抽選会後、吹田市内の万博球場で練習試合を行っているチームに合流した永田監督は、試合後に部員たちをベンチ前に集めて一つの話を始めた。阪神・淡路大震災で被災しながらもセンバツに出場した16年前の話だった。

 「当時は一生懸命やるだけでした。とにかく一生懸命。僕も選手もいっぱいいっぱいでしたが、一生懸命にやりました」

 多くの部員が被害を受け、練習場所はなく、練習時間も確保できなかった。さらに修了式は初戦のアルプススタンドで行った。苦境の中、部員たちは一生懸命に甲子園で戦った。
 被災地に勇気と感動を与えた16年前-。現役部員を前に初めて指揮官の口から当時の様子が赤裸々に語られた。現在、兵庫県内で生活する自分たちが、東日本大震災の惨状は想像するべくもない。それでも指揮官は、今こそ阪神・淡路大震災の“歴史”を伝える時だと感じた。そして最後に「甲子園がある、ないではない。とにかく一生懸命にやろう」と伝えた。

 思いは選手も同じだ。エースの田村(2年)は言う。「自分はとにかく一生懸命、プレーすることを心がけます。もし甲子園でやらせてもらえるなら、一球一球、1プレー1プレーを全力でやりたい」。指揮官から初めて16年前の話を聞き「当時の先輩方は、苦しい中でも甲子園ではいつもの300%、400%の力を出した。それがその時にできた、報徳の新しい伝統。自分たちも受け継いでいかないといけないと思います」

 高原主将(3年)は震災発生直後から被災地のために何かできないかと部員たちと話し合った。「自分たちにできることは節電と募金。1人でも多くの方が助かるように全員でやっています」。部を挙げ、学校近くのコンビニエンスストアの募金箱に募金を続けている。一生懸命自分たちのできることをやっている。

 グラウンド内外を問わず、「一生懸命」に活動する報徳学園ナイン。今春センバツの有無は、まだ決まっていない。それでも16年前は被災地を勇気づけた報徳の思い、プレーが、少しでも東日本大震災の被災地に届いてほしい。 

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2011年3月16日のニュース