金本 今季初実戦も…様変わりの「故郷」に戸惑い

[ 2011年3月13日 06:00 ]

祈るように両手を合わせる金本

合同練習 阪神1―3中日

(3月12日 甲子園)
 東日本大震災発生による世情を配慮して12日の中日とのオープン戦を中止した阪神は、甲子園球場で中日と9イニングの“実戦的な合同練習”を実施した。被災地・仙台で東北福祉大時代を過ごした金本知憲外野手(42)は沈痛な思いを抱え、今春初めて実戦打撃に臨んだ。右肩故障からの再起の道、節目の日を思わぬ形で迎えた。プロ野球のオープン戦は12日に続き、13日も全6試合が中止される。

 「やってええんかな」

 金本は問わず語りにつぶやいた。

 打撃面での初実戦を予定していた中日とのオープン戦は11日夜のうちに中止が決まっていた。代替案として決まった“実戦的な合同練習”。今春初めて実戦の打席に立つ意味ではオープン戦と同義だった。複雑な気持ちを抱えたまま節目のグラウンドに立った。

 仙台を「第2の故郷」と公言してきた。広陵高を卒業後、1年間の苦難の浪人を経て東北福祉大へ進学した。最初は縁もゆかりもなく、「外国のように」感じた街で得難い師に学び、個性的な仲間と腕を磨き合った。4年時の1991年、大学選手権で初優勝。プロへつながる土台をつくった仙台が「故郷」へ変わった。

 当時の監督、伊藤義博氏は02年8月に56歳の若さで急逝。交流戦で仙台を訪れた際に墓参を欠かしたことはない。旧友との交流も続く。毎年12月のOB会にも可能な限り仙台へ足を運んできた。

 突然の災害。被害が映し出されるテレビの画面に見入った。何本の電話をかけただろう…。「知り合いも友達もたくさんいる。連絡がついた人もいれば、つかない人もいる。心配や…」。言葉が詰まった。

 6番・DHで2打席に立った。いずれもネルソンとの対戦だった。最初の打席は初球を二直、2度目は3球で空振り三振に倒れた。快音は響かない。右肩故障から再起を期す今春、まずは打席に立ったことが前進だった。予定通りオープン戦が進めば、20、21日の日本ハム2連戦で左翼守備に就く。3・25開幕へ着実に歩を進めていくことがいまの金本にできることだった。

 沈痛な表情で迎えた節目の日。大学時代、夜ごと素振りした野球部寮の屋上から眺めた美しい仙台の街の記憶が傷ついた光景と重ならない…。

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2011年3月13日のニュース